続きです。

 

 

奈良県大和郡山市矢田町。

矢田丘陵。
 

そこは、記憶の場所。
饒速日命の伝承地でもある。

 

 
ここには「三之矢塚」があった。
 

 

天磐船に乗った饒速日命が降り立つ場所を決める為に、船上から放った三本の矢の一つが落ちたと言われる地。

 

 

 
邪馬台国の想定地でもある。

 

 

山ナビのYAMAPのログで知った。
記憶と同じ風景だった。

それが一枚目の写真の風景。

ここに来たのは、それを確かめたかったから。

 

   この場所知ってる。
   夢で見た場所だ。

   ニギハヤヒが乗った船が降りて来た場所。

   夢で見たあの風景そのままだ。

 

 

饒速日命の后、御炊屋姫は登美一族。
この一帯は登美と呼ばれていた。
(今の奈良の北西部一帯、広範囲)
 

あの夢の”彼女”がヒミカで、ミカシヤ姫(御炊屋姫)であるなら、
この地に住んでいて、
この地にアマノトリフネが降りてきて、
この地でニギハヤヒと出会うのは
当然のこと。


そのことにようやく気づいた。
 

矢田の地に「アマノトリフネ」が降りて来たことは夢から感じとっていた。

でも、「その時、自分が居た(住んでいた)」場所は分からなかった。

漠然と奈良盆地の西側、としか。

 


それはなぜか。
 

”その場所から生駒山が見えなかったから”

それもそのはず。

 

(生駒山の方向(西))


ここから見えないのは当たり前だった。
目の前に矢田の山があって、その向こうの生駒山は見えなかったのだ。

 

私が「遠視」で見たのは、「生駒山を越えてアマノトリフネが来るシーン」。

ちょうどこんな感じ。
 

それは、矢田の山の向こうから、生駒山を見たもの。

 

*おそらく、夢で見た時は、遠視で見たこの風景と、住んでたとこの風景と重なって記憶が混乱してる。
 

アマノトリフネは生駒山を越えて、矢田の地に降りてきた。
そこで饒速日命と「ヒミカ(ミカシヤ姫・御炊屋姫)は出会った。


その地は、「邪馬台国伝承地」の一つとされている。


北部九州のそれの多くは、「饒速日命と神功皇后の二人に関係する場所」にある。


符合するからだ。
彼らの時代と、神と。

 

あの前世の「ひみかと饒速日」の時代は、西暦200年前後頃。(後に詳しく記述)
「邪馬台国」の時代。

 

二人の名前は変えられている。

夢の”ヒミカ”が御炊屋姫であり、神功皇后でもあり、

饒速日命が住吉神であり、高良神(高良大社の神)。


この地の側にある「矢田坐久志玉比古神社」へ向かった。



( つづく )