私の町では、今年も重そうな稲穂が風に揺れている。

この風景を見ると、ARIONの言葉を思い出す。
 

数十年前、パソコン通信に現れた
宇宙神霊ARION。

彼らは、カミとヒト、ツチとコメについて、このように語っていた。

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 〔カミ・コメ・ツチ・ヒト〕

 カミとヒトの間には、コメとツチがある。
 カミはコメとツチによってヒトを養い、
 ヒトはツチに働き、コメを供することでカミと交わる。
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 万物霊象、精霊のこだま。
カミとヒトの間の万物の移り替わり。
これらは全て、カミとヒトとの間の契りの移り変わりを示す。



日本の民がコメとツチを失い始める時、
流砂の中の磐としての列島は、
流砂の流れに止まることを忘れるだろう。

大地が血を噴き上げ、その身体をよじって嘆く時に、
木々も身を潜め、
鳥は住処(スミカ)を失うだろう。

ツチとコメをないがしろにすることの先にあるものは、
ツチの無い大地と実りの無い稲刈りだ。

これを、そのままカミとヒトとの契りの言葉に直すと、
中身の無い身体と、
創造の期待の出来ない人間関係だ。


つまり、肉体があっても肉体の機能の低下した人間と、
生殖器があっても、子を成さない男女関係、
そして目的の無い破壊だ。

これはカミとヒトとの契りであって、
カミの一方的な怒りの表現では無い。

一人一人の顕在的・積極的・意志的な契りでは無いが、
ヒトは、その意図と予定を自分たちの大地に
表現することになっているのだ。


あなたがたが、よく話題にするナスカの地上絵も、
契りの表現の一つだ。
古墳や大規模な石造建築も同様だ。
大昔から、ヒトはカミと契りをしてきた。


カミ・コメ・ツチ・ヒト、これが基本的な世界の構図だったのだ。
カミは神ではない。
カミは人間の似姿ではない。
カミは、万物霊象のオコリだ。


ヒトがオコル時、カミである万物霊象のオコリである
揺すぶりを受けていた。

しかし、今、ヒトは人間となり、オコリでは無く
イカリ(怒り)を表現する。
オコリとイカリは異なる。
オコリは大きなカミの身体的な揺すぶりであり、
イカリは小さな局部的な滞りだ。


あなたがたは、恐らく上記のことを論理的に
解釈しようとしても理解は出来ないだろう。

あなたがたの中にある、カミ・コメ・ツチ・ヒトが
理解するのを待たねばならないだろう。

       ---ARION,O∴O---

1991/07/04/3:52
 

(改行など、見やすくしました)

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今、ツチをあきらめては、カミは永遠に失われる。

イノチをこめたツチにはイノチが宿り、
そのコメを宿したヒトは、カミに愛される。
 

ヒトがイノチを宿したコメを求めるのは、
そこにカミを見出すから。

命を宿したお米は、神に繋がる。

カミ・コメ・ツチ・ヒト
全部、繋がっている。