「90歳。何がめでたい」

ブログを始めるきっかけになった作家佐藤愛子さんの原作なので観ないではいられなかった。

正確にきっかけといったら娘の響子さんの方だ。

母と娘、全く別物でありながら、さすが先生に育てられた人、響子さんの文章は面白い。

狙って笑いを取りに行こうとしているわけではない。

先生と同じに何歳になっても好奇心を失わないところ、それがくだらないと思われるようなことでも真剣に追求するところを、いたって真面目に書いているだけなのだ。

それが性分であり、感性である。

そういうものに共鳴する自分にもきっと通じる部分があるのだろうと思う。

くっだらないこと、面白いことが大好きだから。


大ベストセラーとなったエッセイ「90歳。何がめでたい」の映画化であるが単行本の出版は8年前であり、執筆は10年も前だ。

佐藤愛子さんは昨年100歳を迎えられた。

90歳当時の先生を現在90歳の草笛光子さんが演じるというのも興味深かったが、見事だった。

観ている途中、佐藤愛子さんと草笛光子さんのお顔を混同してしまうくらいに。

私にとって草笛光子さんは「犬神家の一族」の三女役が最も印象深い。90歳になっても映画で主演されていて尚且つ変わらぬ美しさであるとは、あの頃想像もできないことであった。


響子さん役は真矢ミキさん。

これまた何という人選、キャスティング!

あの年代の、あの声のトーンの、響子さんの雰囲気を出せる人は他に思い浮かばない。


ところで佐藤愛子さんは22年前、78歳の時に「私の遺言」を書いている。

どうしても世の中の人に伝えたいことを書き残して置かなければという思いに、年齢的になっていたからだ。

"遺言"を書いてから20年以上も生きるとは思っていなかったことだろう。

「私の遺言」は私の永久保存版である。

私にとっての佐藤愛子の世界、その8割を占める内容だ。


人はしんだらおしまいではない。

魂は存続する。


このことを誰に教えられるともなく感じてきた私にとって決定的になった著書である。

この世には科学で証明できないことがある。

むしろ証明されるべきではないことがあるのかも知れない。


その前に90歳という年齢。

現役で活躍されている方を見ると、一日一日大事に積み重ねた年月の分、年齢の数字が増えただけのように思われて、希望が涌く。


佐藤愛子さんが長寿なのは、その理由の一つに"姿勢の良さ"があると思っている。

姿勢が良いと内臓が収まるべきところに収まるため好調に機能するからではないか?と。

累計180万部を売り上げる文章を書けたのは、感性のエネルギーが現役であるということだ。

毎朝新聞を読み、時事問題や世の中の動きに興味を失っていない。

「携帯とスマホは違うの?」と、時代に着いて行けない発言をしているようで、執筆時点では解決してしまっている。

そんな先生も一度断筆宣言をした後は、何をするでもなく鬱状態の日々だったそうだ。

その頃に出た言葉が「90歳。何がめでたい」


90歳という年齢になれば、誰しもきっと身体のどこかしらに不具合はあることだろう。

それでも何かしらの仕事、あるいは役目を持っていたら素晴らしいと思う。


このところ石だの推しだのに傾倒しているけれど、ここでちょっと出発点に立ち戻ってみた口笛