佐藤愛子氏の心霊現象との戦いについての著書のほとんどを読んでいて、それが厳然たる事実であることを信じている。
それらの著書の中には高林医師もたびたび登場しており、心霊現象について二人の共感が強いことも知っている。
この本を読み始めた時は、やはりこの二人にはこのテの話題になることが発生するものなんだなあと思った。
しかし読んでいくうちに、さすがに今回ばかりは違うのではないか?と感じたので書かずにいられなくなった。

否定的な観点で、引っ掛かるところをあげてみる。

①兄の身体を借りて喋るという女子高生の声が彼女自身の声であることの疑問。
女の霊であっても男の霊媒の声帯(肉体)を借りて喋るのだから、声は兄の声のはずではないか。

②女子高生が交通事故に遭い、医師と食事の約束をした日の、約束にほど近い時間に亡くなるというのはちょっと出来過ぎていないか。
事実、該当するような事故はなかった。

③女子高生の兄としても、亡くなった妹が生きている人間とコンタクトを取っているとなれば大騒ぎしても良さそうなものではないか。
それこそ両親も医師の元へ駆けつけて来てもおかしくない。

④この不思議な通話をなぜ録音しなかったのか。
単に技術的な問題なのか。

⑤その大学に在学していないことがバレた時の兄の、「退学した」との答えに医師は退学そのものを激しく詰る。
(えー?詰るの、そこ?)
退学していようと、その名前の学生が本当に在籍したかどうかわかるはずだが、そこまで調べたという記述はない。
医師の熱血漢な人柄から騙され安い純粋さが覗いたかのようだ。

以下、勝手な考察。

医師の講演を聴いた女子高生が手紙を送って来たのは事実だ。
手紙の差出人名の下に携帯番号を記してあったのは、手紙が確実に医師に読んでもらえたかを確認したかったからではないだろうか。
つまり手紙を受け取ったという電話が欲しかっただけで会話をしたいとは、その時は考えてはいなかった。

不評だった医師の講演の内容にひとり感銘を受け、手紙まで出すところが既に変わった女子高生と云えるかも知れない。

兄から初めて医師に電話がかかって来た時のことは、医師本人もそう思ったように、兄ではなく彼氏なのではないかと思った。
彼氏は彼女ひふみがどこかの医師と時々電話をしていることを知る。
そして食事の約束をしていることも知り、それを阻止する。
当然ひふみとは揉めただろう。

抜き差しならない関係を疑った彼氏は、ひふみの携帯の連絡先にあった医師の電話番号にかけて、彼女は待ち合わせの日に亡くなったと伝えてしまう。
次の電話で医師の年齢が59歳だと知り、ならば心配するような間柄ではないだろうと安堵するも、ひふみはもう医師と電話が出来ないことになってしまった。
そこで二人は、霊と霊媒を装おえばひふみは再び医師との楽しい会話を復活できると考えた。
初めてその芝居をしようとする電話をかけた時、医師のいる自宅でバチーッという音とともに照明が消え、電話も切れる不思議な現象が起きる。
おそらくこれは医師に向けての警告だったのではないか。
「騙されますよ!気をつけて!」という。

ひふみは以前、医師との電話で彼の得意分野である心霊の話も色々聞いていたかも知れない。
あるいは彼氏共々すでに興味を持っていたとも考えらる。
何よりネット検索すれば知識は得られるのだから。

ひふみは再び医師と話せるのが楽しいけれど、彼氏の方は二人の電話に付き合うのが段々面倒になって来る。
もう自分がいなくても電話がかけられる設定にしようと言う。
そこでひふみは、今度は母親の身体を借りて一人で電話ができる設定にする。

ところで、高林医師がこのことを友人の精神科医に相談すると、この電話の相手はミュンヒハウゼン症候群という精神疾患だと言われる。
作り話をまことしかやに話しているうちにそれを真実だと思い込んでしまう病気だと。
さらに友人医師は、ひふみ一人で兄と自分の二役をやっていると言う。
もしかしたらこれが真相なのではないか。
ひふみと兄の声が、さすが兄妹だと思うほど似ていたのは兄に成り切った作り声だからとも考えられるし、男女の声を変えるボイスチェンジャーだってある。

それに、父親より年上の男性と3年も4年も電話したがるというのは恋人のいる女性の心理とも思えない。
医師と初めて会うのを「事故死」を理由に逃げたのは、堂々と顔を合わせることのできない心の闇のせいだろうか。

有名な霊能者がこの件を霊視したところ、狐霊が愉快そうに笑っているのが視えたとのこと。
医師としては、還暦間近かの男が女子高生から恋慕されるというロマンがブチ壊される思いがしただろう。
狐霊の仕業だとすると、初めから女子高生を使って医師をからかったのか。
それとも、何やら霊に成り澄ましてる娘がいるのに気付き、面白いことをやってるというので便乗して来たか。

ひふみが、霊でも何でもない生きている人間だったとしたら、ひふみの供養のために医師が東京ばな奈を供えたのを知っていたのをどう説明するかという氏の疑問。
それについては、ひふみとの数々の会話の中でそのことを話したのを医師が忘れている可能性もある。
何といってもこの奇妙な話はすべて伝聞なのだ。

氏は、医師に起きたことをありのままに書いただけで、結局は何なのかわからないとしている。
何なのかわからないが死んだら無になるのではないと、心霊現象方向に傾けて結ぶのは違和感があった。

結論。
著者を読む限りでは精神科医の見立てが妥当だと思う。