昭和の後半(の真ん中寄り)生まれだが、昭和という時代が好きではない。

自分が知る昭和でも社会の意識レベルがまだ低かったからだ。
個人情報保護の観点はなく、ハラスメントの概念もなかった。

社会に出て働く女性の地位(というより役割)の決めつけがあった。
看護師、保育士などは女性の仕事という固定観念の元に看護婦、保母と呼ばれていた。
一般企業においては女性は男性の補佐という役割だった。

私が社会に出た頃は男女雇用機会均等への過渡期にあり、女性管理職もすでにいた。
結婚したからといって退職する人ばかりではなかった。

しかし古い時代の慣習が依然として続いていた。
それは、女子社員のお茶汲み。
来客にお茶を出すのは今でも当たり前のことだ。
それも女子社員がいるなら女子社員がお茶を出した方が良い。
女性ならではのしなやかな身のこなしがそれに向いているから。
これは性差別ではなく、性差である。

だがしかし!
なんで社内の男性社員にまでお茶を出さなくてはならなかったのか。
今なら、飲みたかったらそんなもの勝手に自分で淹れろ!だ。プンプン

午後3時になると女子社員が当番制で部内全員のコーヒーを淹れてもいた。
砂糖は少な目にだの、ミルクがどうのと注文つけるやつ。
当番は喫茶店じゃないっての!ムキー

悪しき社会心理というのか、不合理なことなのに慣習を守り続け不合理かどうか考えることをしない、という事柄がたくさんあった。

元号が平成に代わったのは1989年。
そしてこの後に続く90年代が個人的には一番好きだ。

バブルが終わり世の中が正気に戻った頃。
携帯電話はまだ普及していない、ポケベルの時代。
皇太子だった今上天皇のご成婚もこの頃。

そして社会の意識が徐々に変わっていった。
大きな意識変改のひとつが、マイノリティを排除しない、多様性を認める世の中になってきたことだと思う。

例えば、履歴書。
本籍地を記入する欄がなくなって久しいが、近頃は性別欄もなくしつつある。

○○は××でなければダメとか、○○は昔から△△と決まっているとか、頭の固かった時代は恋しくはない。
自分の人生の遍歴と重ねても平成が好きなのだ。

平成という元号にすっかり馴染んだ頃、皇室典範に特例が加えられた。
こんなカタチで平成が終わるとは思わなかった。
私の両親と、結婚も、第1子誕生も、第2子誕生も同じ年である前天皇皇后には長生きしていただきたいと願い、平成の御代が1日でも永く続くことを祈っていたのに。

今年は平成31年であり、2019年であり、令和元年であり、職場でも書類管理の混乱が生じるため西暦使用で統一することに決まった。
個人的にももう元号を使うことはないだろう。
改元で時代の中味が変わるわけでもないし。