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兄弟抄
第一章法華経は仏法の要
本文
夫れ法華経と申すは八万法蔵の肝心十二部経の骨髄なり、三世の諸仏は此の経を師として正覚を成じ十方の仏陀は一乗を限目として衆生を引導し給う、今現に経蔵に入って此れを見るに後漢の永平より唐の末に至るまで渡れる所の一切経論に二本あり、所謂旧訳の経は五千四十八巻なり、新訳の経は七千三百九十九巻なり、彼の一切経は皆各各・分分に随って我第一となのれり、然爾法華経と彼の経経とを引き合わせて此れを見るに勝劣天地なり高下雲泥なり、彼の経経は衆星の如く法華経は月の如し彼の経経は燈炬・星月の如く法華経は大日輪の如し此れは総なり。
『通解』
法華経というのは八万法蔵の肝心であり、十二部経の骨髄である。三世の諸仏は、法華経を師として正覚を成就し、十方世界の仏は一乗法である法華経を眼目として衆生を導いたのである。今、現実に経蔵に入って一切経を見てみると、
中国に仏法が渡った後漢の永平年間から唐の末にいたるまでの約八百五十年間に、中国に渡ってきた一切経論に二本ある。いわゆる羅十訳等の旧約の経は五千四十八巻であり、玄奘等の新訳の経は七千三百九十九巻である。それらの一切経は皆それぞれ分ヶに随って「われこそ第一なり」と名乗りを上げているしかるに法華経とそれらの経ヶをを引きくらべてみると、その勝劣は天地の差であり、法華経は月のようである。また、かの経ヶは燈しびや星月の光のようなものであり、法華経は太陽のようなものである。これは、法華経と諸経とを総じて比較した場合である。
【講義】
本章は、仏法にさまざまな流派があるが、そのなかで法華経が最大一であり、三大秘法の南妙法蓮華経が最高の教えであることを述べている。
夫れ法華経と申すは八万法蔵の肝心十二部経の骨髄なり
ここでいう法華経は、一往、釈尊出世の本懐である法華経二十八品である。八万法蔵とは、釈尊一代五十年の説法が多数であるという意味でこのようにいう。
釈尊の五十年にわたる説法は膨大である。五十年間というもの、実にさまざまな教えを説いた。戒律も説いている。禅定の法門も説いている。種々の譬え話で衆生を誘引もした。だが、それらは衆生の機根を整え、最後の法華経を理解させるための方便であった。あくまでも生命の本質を説いた法華経をもって肝心とし、骨髄としなければならない。
もし釈尊が法華経を説かず、たとえば小乗などの戒律のみしか説かなかったら、釈尊の説法は単なる道徳論にすぎず、特筆すべき価値は全くなかったといっても過言ではない。また、たとえ権大乗を説いたとしても、それのみであれば二乗の成仏はない。女人も差別をうけたままである。悪人は地獄に堕ちるのみである。衆生の生命は一念三千の輝ける当体ではない。気の遠くなるほどの歴劫修行をしなければならない。そして永遠の生命を知り、三身常住、三諦円融の生命の本質を語ることはできない。 まさに法華経の説法がなければ、四十二年間の説法も、砂上の楼閣であり、一瞬の夢のごときであったろう。法華経の生命哲学があればこそ、釈尊の説法は光を増し重みを増すのである。いかなる哲学といえども、
要となる哲理によって、その高低浅深が決まる。他の枝葉末説は、いかに、荘厳されていようとも、根本の思想が貧弱ならば、価値はない。釈尊の八万法蔵といっても法華経が骨髄となってこそ、存在意義があるのである。釈尊は自ら、一切経の勝劣を法華経法師品第十で判じている。「わが説く所の経典、実は無量千万億であって、己に説いた経(爾前経)、今説いた経(無量義経)正に説かんとする経(涅槃経)等、まことに多くの経典があるが、それらを超過して、この法華経こそ、最も難信難解であり、最高の哲学である」(取意)と。これに対して諸経の文にも「密厳経は一切経の中に優れたり」「是の経(大雲経)は即是諸経の転輪聖王なり」「今に世尊転じ給う所の法輪(解深密経)・無上無容にして是れ真の了義なり」というように、他に勝っているように説いているが、これはまだその経が説かれるまでの経との比較である。法華経のように己今当説のなかで最大一とはいわないのである。さて、以上のように法華経二十品が八万法蔵の肝心であるというのは一往の義である。再往は、法華経とは南無妙法蓮華経の五字七字の法華経であり、三大秘法の大御本尊である。
法華経が尊いというのも妙法を秘沈しているゆえであり、南無妙法蓮華経こそ、肝心中の肝心であり骨髄である。
三大秘法抄(1023ページ)I
いわく「法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給いて候は三大秘法を含めたる経にて渡らせ給えばなり」と。したがって、三世十方の諸仏といえども、全て妙法蓮華経の五字七字の題目を骨髄とし、修行して仏になったのである。 秋元御書(1070ページ)にいわく「三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏になり給えり」と。われらの持つ三大秘法の御本尊こそ、八万法蔵の究極であり、生命と宇宙の本源を説いた、大哲理の具現であると確信すべきである。