毎日楽しく笑顔で!! -14ページ目




3/1 0:30〜3:30
じいの血圧が50-60台

看護師にじいのミトンを外してもらい、じいの手を握る
じいと手を繋いだの小学生ぶりじゃないかなぁ

きついのかぎゅって手をしてくる
熱いみたいで布団が邪魔だったみたい

ミトン外したら、じいが腕を広げて私と妹を力づよく抱きしめてきた

妹はじぃが自分の時間はないと覚悟決めたんだとこの時思ったと言っていた

力強く手を握ってくるので、こんな状態でも相変わらずやっぱり力ある人なんだなぁと思った

腕を大きく動かしたりしていて、じいに繋いでる管とれないよう私と妹が必死で押さえる

じいはもう言葉では話せなくらい体力も落ちていた

めちゃくちゃ眠たかったけど、寝たらいけない気がして。


苦しいのか、険しい顔をしていた
おしっこでていなくて、点滴の量が1.5リットル
お腹が風船状態

看護師がおしっこだすためにお腹を押すとものすごく痛がり苦しい声を出す

痰をだすために吸引をするが、鼻から肺にいれる
※口から入れない説明はあったけど、鼻も乾燥していて本当にかわいそうだった
ものすごく痛がり苦しい声をだす
痰は取り出せず肺に入ってる水がとれる

一人でこの数ヶ月こんなに闘ってきたの?と思うと、本当に辛かった
こんなの一人で頑張ってたの?

呼吸が苦しく寝れてるからわからなくて、やっと寝れたなタイミングで起こされて痛い思いしてたのかなぁって

血糖値高いので毎日採血とインスリン
看護師が顔を拭いてくれたり、口の中も磨いてくれた


看護師が私と妹にお菓子やお茶をくれた
自分たちのせいでコロナ移したと責めてるのがよく伝わる
おじいちゃんはそんなこと思ってないと思うよ
こんなに孫がしてくれて幸せだと思うよって

妹はもしもの話を看護師に聞いていた
看護師からはいますぐ死ぬような感じじゃないと思うけどねと言っていた


5:31 ばあのムービーを流していたら、じいが目を開けた
バァがいると思った?と聞いたら、頷いていて、急いで連れてきてとママに連絡

8:30ばあとままがくる

ママとばあにはじいの腕を抑える力ないので、ミトンを看護師にお願いをする
じいには申し訳ないんだけど、、、

ママとばあと入れ替わりで私と妹は帰宅
妹は在宅で仕事

妹がお昼に私を病院へじいの車で連れていってくれた

13:00 翌日じいが転院するといわれ、時間や救急車に誰が乗っていくかを決めた

いまじいと病室にいれるくど、転院先で病室にいない私たちとさよならしたら、寂しい思いするなぁとか色々考えてた

ばあが帰るというと(ばあは飽きてしまい)、じいがばあへ手を差し伸ばしてたので、ばあ、じいが繋ぎたがってるからじいの手を握ってあげてと伝えた

ばあはいやいや手を握る😂

ばぁがじぃにキスしようと酸素マスク外すと一気に酸素の値が70まで落ちた

慌ててキスしようとしたばあを止めた

じいが目を開けたのが最後だったんだけど、その時ばあにじいが目を開けたよとばあの顔をじいに見せた

じいに見えてたかはわからないけど、じいの瞳に映る最後がばあでよかったと思った

まどかが心配して私に電話くれた


16:00ままの🚗で仮眠

18:00 病院の待合室で食事をする

18:44 ばあは飽きたらしく、ままと帰るので、私とじい二人


20:00 パパがきた
パパが帰ると伝えたら、じいが私の手をぎゅっとしたので、じいがわかったよって言ってると伝えた


妹がじいの手の乾燥をみて、ハンドクリーム買ってきた
じいの右手はたくさん管刺したんだろうなと跡がたくさんあった

妹が仕事終わり病室へきたら、朝病室去ったときと姿が違いすぎて、看護師呼んでた

じいの痰をだすと言っていて、私はあんな痛がるじいを見てられず病室へでたが、妹いわく、全く痛がることもしなかったらしい

呼吸の感覚が長くなっていて、苦しそうだが、朝方や昨日の方がまだ苦しい様子に慣れる感じあったというと、


動きは格段に減り、痛みへの反応も減った感じ
要はそういうこと
昨日より明らか悪くなっていて、半分寝てる状態
痛みもわかるし、払える、ただ呼びかけへの反応は難しい


意識レベルの指標に1-300あるらしく、現在100
この先痛みのレベルとかも無くなっていく可能性ある、呼びかけ大切と言われる

ミトン外してもらったが、ミトン不要なほど動かさないし、手を握りしめるなどはする

妹が一睡もしてないので、寝ていいよと伝える
私も仮眠しようかなとしてたとき、

23:51
顎を上げながらの呼吸、一瞬時々急に呼吸が止まっていたようにみえた

0:00
酸素濃度の値がーになる
病室の出入りが看護師さん慌ただしくなる

何度も痰をとるが全く動かない

妹が寝なければよかったとすごく後悔していた

妹が叔父に電話

他の家族に電話できるほど妹が余裕なく、私が家族に電話

0:55ママ、パパ電話し、病院にきてもらう

喉がゴロゴロ言っていた

看護師さんがじいの担当医に電話してくれて、夜中なのに駆けつけてくれた

死ぬ前の呼吸が始まっている
転院の話あったけど、このままここで看取るでいいかと言われた
じいはよく頑張ってた
ご飯も食べれないなか一口頑張って食べたり、孫に会えたと喜んで治療も頑張ってた
年末年始いつ亡くなってもおかしくなかったのに、こんなに頑張ったよ
肺気腫もあってよくこんなに頑張ったよ
最後の時間なのでしっかり声かけしてねって言われた

後から聞いた話だが、医者は朝まで持つと思ってたらしい

家族みんなが揃い、妹は頑張ってと声かけ
私はありがとうと声かけ

みんなでじいの身体を触り続けた

叔父ちゃんはこれなかったから妹が電話繋げてた

だんだん数値が下がり始めわからなくて、ナースコール鳴らしたら、お別れの時間だからこのままでいいと言われた

心電図の数字が30になって、20.10.0となり時間はまだあるお思っていたら、ピピビーとなり数値が0になる

亡くなる直前呼吸が一回止まったけど、戻ってきた

しばらくして看護師さんがみにきて、当直の男性医がきて、テレビでよくみる瞼開いてみていて、令和5年三月二日午前0時32分ご臨終ですと言われた

管などを外していいかといわれ外してもらう
じいの身支度をするといわれ、病室だされた

その間に葬儀屋に電話してほしいと言われ妹が葬儀屋に電話
二つ契約があったので二箇所に電話してくれていた

じいが死装束に着替えていて、思わず綺麗という

病室の荷物を全部運ぶようにいわれ、パパがじいと一緒に霊安室にいく

じいは赤ちゃんみたいに顎バンドされていた
顔には白い布被されてたけど、ばあが布をとる😂

パパのことをばあは葬儀屋さんと思い、葬儀屋さん儲かるでしょう?って😂

葬儀屋が決まり、じいがうちにようやく帰れた
じいは袋にいれられチャック閉められ、あぁじいは旅立ったのか、閉めても苦しくないのかって思った

夜中だったので、車をあらゆる方向から止めてたら、こんな夜中に車でうちのまえを通ろうとする車いて説明してたら、じいは地元で有名な人なので、あのじいちゃん死んだの?!って言われ、引き返してくれた


うちについたじいは北枕で寝ている
ドライアイスで固められる

葬儀屋から説明受けていたら、昼の葬儀屋担当、夜の葬儀屋担当違うけど、きちんと説明しとくと言われた

葬儀屋と夜中から打ち合わせ
じいの写真を20枚選んでほしいといわれ、選んだ

親戚一同に私が連絡
8:30までにお寺の宗派はどこか電話ほしいと葬儀屋に言われた

お寺に電話したら枕経は?といわれ、なんやそれ?!となり、葬儀屋に電話

こういうのもじぃが1番詳しくて、近所の人のお母さんが亡くなった時じいが喪主もしたりしてたんだけど、その詳しい人がいないので、本当に手探り


じいの火葬する日がこのままだと友引になるといわれ、3/3に葬儀→火葬と言われ、とりあえず時間を決めていく

妹が会社の人に本当なら?、お通夜は亡くなった翌日からと言われたらしく、、
ドタバタだったんだなぁ、もう少し時間欲しかったと思ったけど、仕方ないね



私たちに色々教えてくれて親戚なんじゃないかなと思う近所のおばちゃんに、じいが亡くなったことを伝え、訃報を流すにはどうしたらよいかを聞きに行った


近所の組合の人にピンポン鳴らし、会長にも伝えると言ってくれた
じいはずーっと近所の公園のそうじ、草むしり、ゴミ収集の時の掃除、横断歩道の見守りなどやってきたんだけど、この人が爺の後をついで今地区の掃除をじいの知り合いと一緒にやってくれている

頼んだわけでもないのに、じいの姿をみて引き継いでくれて、本当に心が温まる

喪服無かったので、年始にレンタル屋に電話してたんだけど、借りに行った

ままのいとこに電話をしたかっけど、番号わからず、実家に電話
ママにじいの名前伝えたらわかるといわれ、なぜかを聞いたら、いとこ夫婦の離婚を救ったらしい☺️

いとこおばちゃんとは、私が毎年年賀状でやりとりはしていたんだけども、、、


⭕️亡診断書を病院へとりにいく
看護師さんみんな声かけてくれて、じいよく頑張ったね、泣かんでいいよといわれ、じいのことをみんな褒めてくれた


担当医にも挨拶をした
よく頑張ったよ。コロナで亡くなるのは一人じゃない。寿命だと思ってなどお心遣いもらったけど、腑に落ちなかった、、、

病院の管理人も久しぶりに看取るために病院に泊まるひとをみた、最近はみんな帰るからと言っていた


親戚みたいな近所のおじさん、おばさんがじいに挨拶にきてくれた

叔父が印刷をコンビニにでしていたら、じいのことで声かけられたらしく、改めてじいの存在の大きさ


妹とパパがじいの死亡診断書を火葬の許可もらいにいくために、区役所へ
ただ、じいがうちをてて葬式会場へいくのと時間被りそうだったけど、なんとかギリギリ


じぃかうちを出発するためにまたチャック閉められ、みんなで車までじいを運ぶ

近所の親戚に近いおじちゃんおばちゃんもきてくれた

じいがいなくなり、祭壇が作られた

16:54
じいが身体洗われてる、綺麗にしてると言われじいの普段着を持ち、慌ててうちを出発


葬儀場につくと、じいは棺に入っていた
※後々整理していて知ったがじいは自分の葬儀の内容まで、棺諸々話をつけていた
じいが契約してた棺じゃないけど、本当に最後まで自分のことは自分ですごいなぁと思った

じいは服をきがえ、お化粧してもらう

19:00 お通夜
親戚、近所の人、じいのことを尊敬してくれてる人がきた
ただ親戚は、じいとおじちゃんがあまりに似すぎて、生きてる?!と思ったらしい😂

私からしたら全然違うんだけどなー
爺の方が身長あるしガタイがいいし、顔つき優しいし、頭もいいし、、、

お通夜終わり、食事
葬儀で手紙を読む時間作ろうと葬儀屋が行ってくれて、夜中にじいへの手紙書いた

ほんとはいけないのかもしれないし、腐敗進むけど、じいの棺の箱を開けてじいのそばにいた

ばあは冷たくなったじいが可哀想と、じいの上にかけられてる布を首までかけていて、じいを触ったりしていた

本当に冷たくなっていて、すごく悲しかった


朝うちへ帰りじいがすきなものや、じいの荷物をとりに帰った※火葬するときに入れるため

斎場へもどり、みんなで朝ごはん
知らない親戚と初めましてをし、連絡先交換

妹がじいの顔の化粧直しをお願いすると、やってみますか?といわれ、じいに最初で最後の化粧をした


朝ごはん食べた後、葬儀の打ち合わせをし、集合写真

12時から葬儀→初七日


じいの棺にお花や病院で渡した手紙などをいれていく。棺をみんなで閉めて、花をのせる


男の人たちに運ばれたじいが一階へ降りてくる


火葬場じいが最後に勤めてた会社とじいの行きつけのスロットの近くだった


到着してすぐじいは火葬される機械?に乗せられ、じいは火葬の中にいれられた

みんなで食事をし、名前呼ばれて骨を取る部屋へ

じいがきた
すごく熱気のある台に運ばれてきた

骨の説明をされるが、じいの骨しっかりしていた

みんなでじいの骨を入れていき、残りはきっとゴミ処分だろうと思い、骨をくださいた聞いたら、骨持っていると警察が、、、もらいためには区役所で手続き必要。もし欲しいなら缶の中に入った骨をとるのがいいけど、なんかあったときに、、、と言われ断念


パパとおばちゃんが焼肉食べに行きたいと焼肉

ままのいとこの娘、私にとっては、はとこのちーちゃんがじいへ挨拶したいと大分から車かっとばしきてくれた

中学ぶりの再会
よーく昔のこと覚えてくれていた

週明け月曜
保険金のことがあったので、高杉真宙似の担当に電話
区役所へ手続きにいく

介護認定の課に回ると、じいが1/30ケアマネさんきて認定されていたと知る

年金事務所へ手続き
待っている間寝てないので眠くて仕方ないが、予約してないと手続きできないらしく、予約し退散、、、


3/7
じいの祭壇を買う
浄土真宗の📕をもらう。
社長直々に祭壇、浄土真宗とはな説明してくれて、家族みんなのぶんの本をくれた
これは京都にいかないともらえないらしい




じいがお世話になったひとたちにも電話


じい新日鉄※現日本製鉄のエリートだったんだけど、じいに当時のはなしをしてほしい。功績になるからとインタビューしてくれた人がいた


このインタビュー受けた後92歳で運転もするし、パチンコいってお菓子交換してくると言ってたらしい笑


じいの部屋リフォーム完了して、じいがいた場所ほとんど変えてごめんね、な気持ち


3/19
じいの香典返しを決めて送るために銀座
お店に入るととんでもないクレーム客いて、店員可哀想だった

3/28
ばあの誕生日で福岡帰省
じいの年金を下ろしにいく

仏壇屋にいくと四十九日のやりとりあるので、祭壇から仏壇に変える準備のため2週間前に連絡ほしいといわれた

ままのいとこがじいに挨拶へきてくれた
じいがいなくなって一人で部屋で甲子園みようという気にもならず、、

ただキッチンの方から音がしたりドア閉める音がして、じいがいるんだなと思った
じいがよくいた場所だったから


じいのなくなった日、四十九日の日が、
2023年3月2日2時32分→2と3しかない
49日→4月19日→しじゅうくにと読める


じいすごいなと思った


ばあはオムツをここ数年嫌がってたのに退院してから、きちんとオムツするようになった


祭壇にいるじいが信じられなくて泣いた
部屋の片付けをしていたら、高校生の時に書いた手紙を破れないよう画用紙に貼って残しているのをみつけ泣いた

家計簿もしっかりつけていて、ばあに食べさせようとしたのかハンバーグのレシピを書いていたりして。

どれだけ私たちにお金を使ってくれてるのかもわかって泣いた

全て東京に持って帰ってきた


じい92歳で旅立ったんだけど、認知症の試験も大丈夫だし、背中まっすぐだし、頭いいし(片付けてたら、新日鉄のエリートだったし、なんなら最近までFxの勉強しようとしてたみたいで本があった😂、土地の売買、株など色々してきてた)、ガタイのいい175センチ、性格いい文句なしのじいちゃんなんだけど、我が家の男性、パパとおじちゃん、92歳のじいちゃんに全然体格も身長も敵わないから、じいの服や新品の靴ををお下がりで着れないから、処分にいま困ってる


昔の写真みてもじいほど身長のある体格のいい人いないんだよね、確かに昭和の時代には貴重な体格の人


色々整理してたら、色々なものでてきて😂
なぜ東大出の課長よりボーナス多く100マンもらってたや、⭕️マンの月給(昭和の時代にとってはやはりすごい)だったと何回も言われてたんだけど、その話だけじゃなく、他にもしてくれる話しあったやろー!って思った笑


福岡にいる間1週間資さんなときあって、一生分うどん食べたんだじゃないかというくらい飽きそうになり、資さんでカレー、おでん食べたりした🍛