ふたつ前の日記をみて、
夜明けまでに二人の方からメールをいただきました

どちらも、電話したいのは本音だけど、
110番や119番など、他に回線を優先したいという趣旨と、
感謝の言葉が入ったものでした。

安易に電話回線をそれに使おうとしていた自分に反省中。

更に一人の方は、
ご自身も余震で眠れずにいたのに、
私の弟の心配までしてくれ・・・正直、感謝。

昨日、地震直後に一瞬だけ繋がった電話の向こうの弟も
家にはいられない状況と命はあるということだけ伝えると、
「他の人に回線を使って欲しいから切るね」と早々に電話を切った。

でも、よくよく考えると自分が震災にあったときもそうで、
意外に自分のことより、
周りのもっと大変な人に、自然と意識が向いていた。

自分も帰る家がなくなったくせに、
毎日食料をライトバンに助手席までいっぱいになるほど積み、
車で仮眠をとりながら、朝から朝まで運んでいた。

正直、当時は自分さえよければという人でした
それでも、自然とそうしている自分がいた。

善意とか、人の為とかってより、
普段はどんなに不良ぶっている子も、
お寺や神社では自然に帽子をとり、頭をさげてしまう。
あれに似た感じのように記憶します。

Twitterを見ていると、
それぞれの価値観や考えが衝突するシーンも見かけるけど、
それぞれが自分に出来ることを必死に考え、
発信している姿が朝まで、そしてその後もずっと続いていた。

それを見ていたら、
根っこでは、今もしっかり和の心をもってる人がいて、
義なる人が今もたくさんいるんだなぁって感じ、
いろんな感情で胸がいっぱいになりました。

そして、そんな人たちから、
冷静に、本当に必要なことを、今出来ることを、
しっかり見つめてやっていこうよって
言われてる気がした。

こんなときくらい・・・
そして、こんなときだからこそ・・・。