夜の公園で何も考えずに、ただボーっと座っていると、頭の中で急に稲妻が走ったかのように『浣腸の美学』という言葉を思いついた。
あぁ、今年中に自分は『浣腸の美学』というタイトルの本を出版しよう。
そう思いついた。『浣腸の美学』。良い響きだ。これは売れること間違いない。
ただ問題なのが、内容はまだ何にも考えていないという事だ。小説なのかエッセイなのか、はたまた学術論文なのか。『浣腸の美学』とは、一体如何なる種類の書物なのだろうか。全く見当もつかない。
さっきから私の目の前でいちゃいちゃしている、まだ家に帰らなくてもいいんですかと言いたくなる高校生カップルに聞いてみようか。
「すいません。『浣腸の美学』とは一体どんな本なのでしょうか」
一体、彼らはどんな反応をするのだろうか。きっと、「嫌、怖い。やめて、助けて。」などと言って震え上り、素直に家に帰ってしまうだろう。
それだけ人に恐怖を与えてしまう『浣腸の美学』。これはとんでもない代物だぞ。
警察に言ったら、逮捕されてしまいそうである。テレビでいえば、放送禁止用語として捉えられそうである。国会で『浣腸の美学』などと言ったら、衆議院の皆様はどんな顔をするのだろうか。
大変な影響力を持つ『浣腸の美学』は、すぐに高等裁判所で出版停止処分が下され、表現の自由を掲げた私の上告もまるで黙殺され、『浣腸の美学』は社会によって黙殺されてしまうのだ。
私はただ、浣腸の美しさを伝えたいだけなんです。全ての浣腸に幸福を奉げたいだけなんです。一体それの何がいけないというのでしょうか。
『浣腸の美学』という出版物は、いつか俗っぽい都市伝説になってしまうのです。人々の間で、言ってはならない呪われた言葉として、社会の闇に存在し続けるのです。実際には存在するにも関わらず、世間から追放され人々の意識から消されていく運命にあるのです。
『浣腸の美学』には一体何が記されているのか。日本出版史上最大の謎である。
カザフスタンに行った時の話
当時カザフスタンではベーゴマが流行っていた。
自分も小さい頃は暇さえあれば独楽を回していたもので、春は桜花吹雪舞散る木の下で、冬には吹雪の中氷の上で穴が開くまで何度も何度も高速回転させていた。
独楽というものは結局、ナントカ力学に基づいているものが制するという話を隣の家のご老人に聞いたことがあった私は、早速某国立大学の教授の下に行き日夜ベクトルとの戦いをしたものだった。
その結果私は数々の強豪を打倒し、東北一の独楽使いとして名を轟かせることになった。(神童として大分テレビで騒がれたこともあったので覚えがある方もいるかもしれない)
その噂を嗅ぎつけた当時のカザフスタン国王が領事を使わせて私を招聘したのだ。
国王は、どうしても国家の威信をかけて大会に優勝したい。しかし、私はこの通りの高齢で、数度の投球にも耐えうるか危険な状態だ。だから、実は来日した時に出会った女性と の間の隠し子がいて、それがあなた(私)であるとして欲しい。という事を言われた。
こうして私はカザフスタン第一回ベーゴマ大会に出場するべく、カザフスタン第一皇子となったのだった。
当時カザフスタンではベーゴマが流行っていた。
自分も小さい頃は暇さえあれば独楽を回していたもので、春は桜花吹雪舞散る木の下で、冬には吹雪の中氷の上で穴が開くまで何度も何度も高速回転させていた。
独楽というものは結局、ナントカ力学に基づいているものが制するという話を隣の家のご老人に聞いたことがあった私は、早速某国立大学の教授の下に行き日夜ベクトルとの戦いをしたものだった。
その結果私は数々の強豪を打倒し、東北一の独楽使いとして名を轟かせることになった。(神童として大分テレビで騒がれたこともあったので覚えがある方もいるかもしれない)
その噂を嗅ぎつけた当時のカザフスタン国王が領事を使わせて私を招聘したのだ。
国王は、どうしても国家の威信をかけて大会に優勝したい。しかし、私はこの通りの高齢で、数度の投球にも耐えうるか危険な状態だ。だから、実は来日した時に出会った女性と の間の隠し子がいて、それがあなた(私)であるとして欲しい。という事を言われた。
こうして私はカザフスタン第一回ベーゴマ大会に出場するべく、カザフスタン第一皇子となったのだった。
必読書150というものがある。
これはどこかのお偉い方々が選んだ、これを読めば貴方も立派な常識人ですよ、といった本である。
大学四年間、週に一冊程読んでいけば全て読み切れる量である。私はまだ二、三十冊ほどしか読んでいない。
別に無理して全部読む必要はないのだが、必読書と冠するだけのことあって、一冊一冊が非常に重く、人生観が軽く変わるぐらいの出来である。読んで無駄になることは絶対にないのであります。
そんな事を考えていると、では私が読んだ本トップ5は何かと思った。ホントに何のためなのか、無駄な作業である。こんなことをしている間に必読書でも読めばいいのに。馬鹿である。
まぁ、毎日を無駄に過ごし実のない日々を送っている諸君は、どうぞ、書店に行ってむんずと掴んで売り場にダッシュしてください。
五位:内田百間 冥途
昔話のような、神話のような。大人の童話とでもいえばいいのでしょうか。作者の生きている世界は私たちの世界とは別の世界なのかもしれません。これぞ楽しい文学。
四位:安倍公房 無関係な死・時の崖
どうしてこんな奇妙な世界に説得力があるのか。ミステリーにも近いものがある、安部文学の特に読みやすい短編集。超現実とは非現実ではありませんよ
。
三位:魯迅 阿Q正伝・狂人日記
頭のおかしな主人公が異常なアレで世界を見ているような本。本当の世界とは、人間とはなんぞやと問うている、面白おかしくちょっとまじめに考えさせられる。
二位:フランツ・カフカ 変身
主人公グレゴール・ザムザがまじに芋虫に変身します。うねうね、むきむきな陰湿野郎の永遠の大作。
一位:ガルシア・マルケス 百年の孤独
近親相姦大好き一家の百年にわたる奇妙な年代記。お前ら、どんだけ。
なんだか上位に進むにつれて、適当な紹介になってしまった。
これはどこかのお偉い方々が選んだ、これを読めば貴方も立派な常識人ですよ、といった本である。
大学四年間、週に一冊程読んでいけば全て読み切れる量である。私はまだ二、三十冊ほどしか読んでいない。
別に無理して全部読む必要はないのだが、必読書と冠するだけのことあって、一冊一冊が非常に重く、人生観が軽く変わるぐらいの出来である。読んで無駄になることは絶対にないのであります。
そんな事を考えていると、では私が読んだ本トップ5は何かと思った。ホントに何のためなのか、無駄な作業である。こんなことをしている間に必読書でも読めばいいのに。馬鹿である。
まぁ、毎日を無駄に過ごし実のない日々を送っている諸君は、どうぞ、書店に行ってむんずと掴んで売り場にダッシュしてください。
五位:内田百間 冥途
昔話のような、神話のような。大人の童話とでもいえばいいのでしょうか。作者の生きている世界は私たちの世界とは別の世界なのかもしれません。これぞ楽しい文学。
四位:安倍公房 無関係な死・時の崖
どうしてこんな奇妙な世界に説得力があるのか。ミステリーにも近いものがある、安部文学の特に読みやすい短編集。超現実とは非現実ではありませんよ
。
三位:魯迅 阿Q正伝・狂人日記
頭のおかしな主人公が異常なアレで世界を見ているような本。本当の世界とは、人間とはなんぞやと問うている、面白おかしくちょっとまじめに考えさせられる。
二位:フランツ・カフカ 変身
主人公グレゴール・ザムザがまじに芋虫に変身します。うねうね、むきむきな陰湿野郎の永遠の大作。
一位:ガルシア・マルケス 百年の孤独
近親相姦大好き一家の百年にわたる奇妙な年代記。お前ら、どんだけ。
なんだか上位に進むにつれて、適当な紹介になってしまった。
暇だったので「おっぱい」を「おっぱひ」と呼んでみてはどうかと、一日中考えた。
「おっぱひ」の方が「おっぱい」よりやらしい感じはしなくなったが、何かべちょべちょしていて、全く弾力が無くなっている気がして、大変けしからん事だ、おっぱいに対する侮蔑だ、と一人で激怒した。
「おっぱひ」の方が「おっぱい」よりやらしい感じはしなくなったが、何かべちょべちょしていて、全く弾力が無くなっている気がして、大変けしからん事だ、おっぱいに対する侮蔑だ、と一人で激怒した。
最近の大学生はコミュニケーションが取れないのか、どうも友人関係をうまく作ることができない人が多い。
私は辛うじて友人の輪の末席に加えられていて、オラオラ虐げられながらも何とか毎日を過ごしているのだが、本当に毎日大学で独りぼっち、という人はそう珍しくないと感じる。
そういった人は育った環境が悪いのか、自分を取り巻く環境が悪いのか、それとも何から何まで自分が悪いのか。その良い悪いをそれを此処でアレコレ議論するつもりはない。
だけど、そういった人達は何が悲しいかというとご飯の時間が一番侘びしい。これはもう間違いない。
私も入学当初は友人も少なく、誰がどの時間学校にいて、どこでご飯を食べているのかなんてわからないし、つい迷惑かしらと思って電話するのが億劫になったりしたものである。授業は別に一人で受けてもいいのだ。だけど、やっぱりご飯は寂しい。
ラーメン屋や牛丼屋に一人で行くのは別にいい。だけど、焼き肉屋に一人で行くのは気が引けまいか。一人でディズニーランドに行って楽しむ人間はもうただのマゾヒストである。これはそういうことだ。
大学というのは、いかにも若さの集まりという活き活きとした場所で、沢山のおしゃれをした男女が楽しくランチを囲む。次の授業皆でサボろうぜ、とか、今日学校帰りに池袋に飲みに行こうよ、なんて会話がそこら中から聞こえてくる。
そういう場で、一人でご飯を食べるというのは修行である。尻を鞭で叩かれ鼻フックされて喜ぶようなドMには快楽でも、そうでない普通の人にはやはり地獄なのだ。大学は天国と地獄とが入り混じる奇妙な場所でもあるのだ。
そんなへんてこりんな場所でご飯を食べる事が出来ず、しかし不登校になる事も出来ない者は、一体どうするのか。
一つだけ、心休まる場所がある。そう、それは誰もが気軽に利用できる、唯一の個室。つまり便所である。
便所で飯を食うのだ。便飯。トイレランチである。
それは勿論普通ではない。だけど、それ以外の道に進むのが彼らにとってどれだけの苦難だろうか。食堂で一人で食べるより、人がうんこをする横でご飯を食べる方がよっぽど楽なのだ。
私は別にそういうことをする人を差別するわけではないし、見下しているわけでもない。むしろ、無自覚のうちにそういう人たちを生みだすような、団体による無言の圧力を作っている可能性が大いにあって、もし無意識のうちにそういうことが起きているのだとすれば、本当に申し訳ないことだ。
だから、私はそういった人たちの隣では決してうんこをしない。(大体、昼になると必ず何十分も閉まりっぱなしの個室があって、咀嚼する音から、あぁ、食卓と化しているのだな、と容易に分かる)
人がご飯を食べている横で排泄行為をするのは、失礼にあたることだ。
ご飯食ってる横でうんこされる身になってみたまえ。
もし私が楽しいランチを過ごしている横で排泄をしよう者が居たなら、すぐに隣の個室をロックして「ご飯食ってる横でうんこなんかするな!」と叱ってやろう。
私は辛うじて友人の輪の末席に加えられていて、オラオラ虐げられながらも何とか毎日を過ごしているのだが、本当に毎日大学で独りぼっち、という人はそう珍しくないと感じる。
そういった人は育った環境が悪いのか、自分を取り巻く環境が悪いのか、それとも何から何まで自分が悪いのか。その良い悪いをそれを此処でアレコレ議論するつもりはない。
だけど、そういった人達は何が悲しいかというとご飯の時間が一番侘びしい。これはもう間違いない。
私も入学当初は友人も少なく、誰がどの時間学校にいて、どこでご飯を食べているのかなんてわからないし、つい迷惑かしらと思って電話するのが億劫になったりしたものである。授業は別に一人で受けてもいいのだ。だけど、やっぱりご飯は寂しい。
ラーメン屋や牛丼屋に一人で行くのは別にいい。だけど、焼き肉屋に一人で行くのは気が引けまいか。一人でディズニーランドに行って楽しむ人間はもうただのマゾヒストである。これはそういうことだ。
大学というのは、いかにも若さの集まりという活き活きとした場所で、沢山のおしゃれをした男女が楽しくランチを囲む。次の授業皆でサボろうぜ、とか、今日学校帰りに池袋に飲みに行こうよ、なんて会話がそこら中から聞こえてくる。
そういう場で、一人でご飯を食べるというのは修行である。尻を鞭で叩かれ鼻フックされて喜ぶようなドMには快楽でも、そうでない普通の人にはやはり地獄なのだ。大学は天国と地獄とが入り混じる奇妙な場所でもあるのだ。
そんなへんてこりんな場所でご飯を食べる事が出来ず、しかし不登校になる事も出来ない者は、一体どうするのか。
一つだけ、心休まる場所がある。そう、それは誰もが気軽に利用できる、唯一の個室。つまり便所である。
便所で飯を食うのだ。便飯。トイレランチである。
それは勿論普通ではない。だけど、それ以外の道に進むのが彼らにとってどれだけの苦難だろうか。食堂で一人で食べるより、人がうんこをする横でご飯を食べる方がよっぽど楽なのだ。
私は別にそういうことをする人を差別するわけではないし、見下しているわけでもない。むしろ、無自覚のうちにそういう人たちを生みだすような、団体による無言の圧力を作っている可能性が大いにあって、もし無意識のうちにそういうことが起きているのだとすれば、本当に申し訳ないことだ。
だから、私はそういった人たちの隣では決してうんこをしない。(大体、昼になると必ず何十分も閉まりっぱなしの個室があって、咀嚼する音から、あぁ、食卓と化しているのだな、と容易に分かる)
人がご飯を食べている横で排泄行為をするのは、失礼にあたることだ。
ご飯食ってる横でうんこされる身になってみたまえ。
もし私が楽しいランチを過ごしている横で排泄をしよう者が居たなら、すぐに隣の個室をロックして「ご飯食ってる横でうんこなんかするな!」と叱ってやろう。