12/12(月)19:30〜 「LIVE寺山修司を唄う2022冬」 ゲスト 三上 寛 SATONE 生配信ライブ
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まずは岸田コーイチさんから。
1935年〈昭和10年〉12月10日生まれの寺山修司にちなみ
恒例となった「寺山修司を唄う」も5年目とのこと。
岸田さんの寺山修司さんに対する思いを語る。
寺山修司さんは大阪は文化不毛の地だと言われてたらしい。
前衛を受け入れられず天井桟敷の芝居も大阪の中心部ではなく
八尾という郊外で行われた。
八尾で「レミング」観ましたね。わざわざ行った。そうだったのか。
(1983年5月、大阪八尾、西武ホールにて上演された『レミング―壁抜け男』)
大阪で前衛が受け入れられないについて岸田さんも大いに共感され熱く語る。
今回ご一緒の上川保さんはなんと
リンド・アンド・リンダースのリード・ヴォーカル、加賀テツヤ氏の 最後のギタリスト。
加賀テツヤ氏の「ギター子守唄」は寺山修司作詞、そして
この歌は三上寛氏が高校時代初めてギターで練習した歌。
当時は寺山修司作詞と知らずに。
時を経て2、3年前に岸田さんが見つけ出したという
不思議な縁で繋がれている。
昭和十年十二月十日に ぼくは不完全な死体として生まれ 何十年かかゝって 完全な死体となるのである
寺山修司の詩「懐かしのわが家」の朗読。
半分愛して下さい のこりの半分で、だまって海を見ていたいのです
半分愛して下さい のこりの半分で 人生について考えてみたいのです
「半分愛して」 寺山修司作詞・ 岸田コーイチ 作曲
今日 おぼえた歌は 今日 うたってしまい
歌い終わったら うっかり忘れてしまいました
「雨傘」寺山修司作詞
木漏れ日のような上川保さんのギター
岸田さんのギターもコードでリズムを刻みいい音。
古いソフト伊達にかぶり 笑いながら出ていった
何も言わず手だけ振って 帰る家もないくせに
今ごろどこにいるだろな 同じ刑務所を出たあいつ
クリスマスに独りぼっち 思い出せば雪が降る
浅川マキ「前科者のクリスマス」 寺山修司作詞・山木幸三郎作曲
MC
2002年岸田さんは三上寛氏と寺山修司ゆかりの地を巡る寺山修司ツアーに出掛けた話。
ふしあわせという名の猫がいる いつも私のそばに ぴったり寄りそっている
ふしあわせという名の猫がいる だから私はいつも ひとりぼっちじゃない
浅川マキ「ふしあわせという名の猫」 寺山修司作詞・山木幸三郎作曲
よくのびていて素晴らしい岸田さんの歌声
醒めてることのさびしさを 知ってる人がもしいたら
酔ったふりして肩組んで カム・トゥギャザーを唄ってあげる
さよならは夜明けに似合うから
荒井沙知「 もう頬づえはつかない」寺山修司作詞・田中未知作曲・J. A.シーザー編曲
二代目高橋竹山・高橋竹与さんの津軽三味線の歌
「さらば東京行進曲」寺山修司作詞・高橋竹与作曲
みんなが行ってしまったら 私は一人で手紙を書こう
蘭妖子「レミング 世界の果てまで連れてって」
寺山修司作詞・J. A.シーザー作曲
岸田さんの歌声、今回最高に良かった。
ライブハウス経営者の職権乱用なんかじゃなく立派なプロのシンガーだ。
上川保さんとのギターデュオも凄くいい感じだった。
上川さんの超絶テクニックギターが岸田さんのギターを抱擁し
世界が広がるようだった。ブラボー!
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「寺山修司を唄う」のご常連北岡樹さん
ピアノは吉田 幸生さん
お二人ともシャンソンのイメージがあるのですが
寺山修司の歌の世界観が好きとおっしゃる。
向こう横丁の呉服屋で帯が一本売れました
通りすがりに手相見が言いました。
「かわいそうにあの赤い帯をしめた女は、必ずふしあわせになるヨ!」
それを拾った旅役者
女に化けて酔いどれて
赤い帯しめひと踊り
崖から落ちて死んじゃった
蘭妖子「のぞきからくり赤い帯」 作詞作曲 J・A・シーザー
不思議な橋が この町にある 渡った人は 帰らない
浅川マキ「赤い橋」北山修作詞・山木幸三郎作曲
本格的な歌唱と吉田幸生さんのピアノで大人のムード満載。
きらめく季節に たれがあの帆を歌ったか
つかのまの僕に 過ぎてゆく時よ
「五月の詩」寺山修司作詞・萩京子作曲
聞いてちょうだいよ あたしの彼のことを
彼は満足以上の 最高のBlack man
ハスリン・ダン 私のいい人
浅川マキ「ハスリン・ダン」浅川マキ和訳ベッシー・スミス ジェームス・クロフォード作詞作曲
ジャジィで軽快
あたしが着いたのは ニューオリンズの朝日 楼という名の 女郎屋だった
浅川マキ「朝日楼」浅川マキ和訳・アメリカ民謡
パワフル ソウルフル 洒落た感じ シャンソン風
ちっちゃな時から 浮気なお前でいつもはらはらする
浅川マキ「ちっちゃな時から」浅川マキ作詞・むつひろし作曲
夜が明けたら 一番早い汽車に乗るから切符を用意してちょうだい
私のために一枚でいいからさ今夜でこの街とはさよならね
わりといい街だったけどね
浅川マキ「夜が明けたら」浅川マキ作詞作曲
あの人の想い出なんか
古道具屋へ 売って来た
これからは ずっと 一人暮らしだよ
さよならだけが 人生よ
せめて お酒を飲みましょう
浅川マキ「13日の金曜日のブルース」寺山修司作詞・山木幸三郎作曲
ルルル… あたしの涙を小さなびんに入れて
海に流してやりましょう あなたのくれた 涙のびんづめ
伊東きよ子「涙のびんづめ 」寺山修司作詞・すぎやまこういち作曲
私は酒場の泣き女
誰か悲しい人がいりゃ
そばで代わりに 泣いてやる
浅川マキ「花いちもんめ 」寺山修司作詞・山木幸三郎作曲
北岡樹さんの歌は凄くパワフルでソウルフル
吉田幸生さんのピアノがお洒落で洗練されていて
好きな浅川マキの歌もたくさん聴けて良かった
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スペシャルゲストは寺山修司に直接影響を受けた三上寛氏。
貴重な話が満載。
寺山はカーテンコールをしない。カタルシスを語るなと言った。
三上寛氏が少し売れて調子に乗っていた頃、言われた言葉。
「お前は芸人になるのか。芸人は繰り返す。表現者にならないと。
大阪は文化の塊。前衛がいない。大阪で好きなのは青空テント。
上岡龍太郎があいつには名前を譲ってもよいと。
三上寛氏の映画も撮った井筒和幸監督が、上岡龍太郎は別格だと言った。
橘の甘い香りが 風になびくんだとさー
沖縄でライブやった時スキンヘッドの少女がいて
話しかけると滋賀県から来たという。名前は伊井です。
井伊直弼は彦根藩主。伊井家の家紋は橘。
伊井家と琉球王国は繋がっている。
琵琶湖を歩く少女の背中の梵語
桜を見に来ないかとリョウジは言った。
ブルースよ!
先に出た二人は素晴らしかった。
岸田は最高のでき。保さんが受け止めている。
水木一郎が亡くなった。
オタクは革命的。外国に行ってもオタクがいる。
世界は死者によって支えられている。
大阪は芸。寺山は受け入れられない。
寺山に創ってもらった「冬の蛍」
修学旅行で京都へ。京極通りの本屋に横尾忠則の本が山積みに
手に取ると「書を捨てよ、町へ出よう」
寺山に憧れ、柳行李一つで上京。
アパートへ帰りたくないので 遠回りして冬の蛍を見ていたんだよ
吉田幸生さんのピアノ。ギター外しマイク手に持ち。
調子いいと寺山の真似をやる。
寺山は三沢基地の近く。基地出身だからブルースやジャズを知っていた。
寺山の「幸福論」に青森県民謡弥三郎節が出てくる。
家制度が戦争に負けて家族ファミリーになった。
「弥三郎節」は嫁いびりの歌。
一つァエー 木造新田の下相野 村の端ずれコの 弥三郎エー アリャ弥三郎エー
二つァエー 二人と三人と人頼んで大開の万九郎から嫁貰ったアリャ弥三郎エー
津軽のカセ村のモモタロウ カセのモモ。(*)
芸は人。歌い踊る。
貧しくて娘女郎屋に売るよな農民達が
モモ聴きに木戸銭握ってる
音楽ってなんだ。
注釈(*)カセのモモ 嘉瀬の桃
職業民謡歌手 本名黒川 桃太郎(クロカワ モモタロウ) 生年月日明治19年 出生地青森県 嘉瀬村(五所川原市)
経歴:少年の頃より年季奉公に入り、大工仕事を仕込まれるが、主人が庇護した門付けや座打ちなどの芸人を見て、自らも芸を志す。年季が明けたあと大工となるが、津軽三味線の祖と言われる仁太坊(秋元仁太郎)の芸に感銘を受け、29歳の時これに入門。
以後、仁太坊の得意とした八人芸(三味線・太鼓・笛・歌などを一人で演じる芸)を学びながら、津軽民謡の三つものと呼ばれる「よされ」「小原」「じょんから」を改良し現今の津軽民謡の基礎を作った。
生来の美声と状況に即して歌詞や節を変える臨機応変さを持ち、独特の節回しは「桃節」と呼ばれて人気を集め、特に「調子変わりよされ節」などを得意としたが、次第に酒と博打におぼれ、45歳で早世した。
没年月日昭和6年 (1931年)
保さんが加賀テツヤのギタリストとは。
高1練習してたのが「ギター子守唄」
「戦士の休息」寺山が個人に宛てた手紙。その個人はファイティング原田。
それに曲をつけた歌。
ふりむけば いまも喝采が聞こえる 戦っている自分がみえる
こんな歌うたってていいのかと思った時があって
寺山さんは
いいんだよ三上。現金書留なんて言葉使ったの初めてだ。それでいい。
質に荷を足しゃ苦になるが
苦になりゃまだまだいいほうで
死に死にを足しても苦になって
夢は夜ひらく
サルトル マルクス並べても
あしたの天気はわからねえ
ヤクザ映画の看板に
夢は夜ひらく
風呂屋に続く暗い道
45 円の栄光は
明日のジョーにもなれないで
夢は夜ひらく
八百屋の裏で泣いていた
子供背負った泥棒よ
キャベツひとつ盗むに
涙はいらないぜ
四畳半のアパートで
それでも毎日やるものは
ヌード写真に飛び散った
カルピスふくことよ
赤提灯に人生論
やけに悲しくつり合うが
とっくりひとつの 幸せを
なんで飲み終る
生まれ故郷の小泊じゃ
今日もシケだといっている
現金書留きたといい
走る妹よ
本当に行くというのなら
この包丁で母さんを
刺してから行け 行くのなら
そんな日もあった
夢は夜ひらく唄っても
ひらく夢などあるじゃなし
まして夜などくるじゃなし
夢は夜ひらく
「三上寛の夢は夜ひらく」三上寛作詞・曽根幸明作曲
語りと歌は地続きで境目はなく
同じ歌でも毎回違う。
毎回胸を刺す。
今回は寺山修司さんの話をたくさん聞けて勉強なりました。
そして最後は全員で、
おいらが恋した女は 港町のあばずれ いつも ドアを開けたままで着替えして
男達の気を引く浮気女 かもめ かもめ 笑っておくれ
浅川マキ「かもめ」寺山修司作詞・山本幸三郎作曲
三上寛氏が独特の歌い方で大いに盛り上がりました。
これ私カラオケで毎回歌う大好きな歌で気分上がる。
一緒に歌ってしまった。
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3時間という長丁場。あっという間に過ぎた。
岸田コーイチさんと上川保さん
北岡樹さんと吉田幸生さんのピアノ
三上寛氏
それぞれの寺山修司さんへの想いが伝わるいいライブでした。
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