昭和・平成、令和、今の所37年間、体験してきました。

平成の学生時代から社会人になっての数年間、本当に心からしんどかったなと思います。


平成を少し振り返ると、たまごっちがあったり、ポケモンが流行りだしたり、スーパーファミコンが楽しすぎたりプレステになったり、

音楽ではGLAYや宇多田ヒカルが出てきたり、オリコンチャートが注目の的で、ダブルミリオンがどうとかカウントダウンTVをおもむろに眺めていたり、月9ドラマが流行ったり、、、。


ただよく感じていたことは、重苦しい空気、閉塞感、信頼できない大人や社会やテレビコマーシャルや地獄を越えた苦しみ。



今は令和、インターネットが発達し、SNS集客、TikTokでの稼ぎ方、個性・感性の時代、子供の自殺率の増加、「国」の迷走、見えない恐怖の情報提供、

混沌の真っ只中を疾走中、のような印象をもっています。



今の私達の在り方、生き方にはどんなものがあるでしょうか。

時代は去り、次の流れに乗らされ、果てない苦しみを抱えながらも希望や仲間を抱え、悶えながらも前に進もうと瞬間に命を注いでいる方、沢山いらっしゃるのではないかと思います。



生きてきて良かった、大満足じゃ、と思えたとき、きっと報われた至福を味わうのだと思います。


しかし、次から次へと記憶が切り替わり、過去は何だったのかも分からない程の、感じさえさせない程のスピードで更新され続け、生きる意味や価値を味わう隙間すら与えないループが、まだまだ覆ってしまっているようにも感じます。



貴方は何の為に生まれてきましたか?

なんで星がありますか。宇宙とはなんですか?

神様ってなんですか?魂ってあるんですか?

縄文時代と令和の時代の今、何が変わり何が廃れ、何が生まれようとしていますか。



私は今が、希望の結晶化した思いの固まりが、全て叶う事が出来る時代、でありその瞬間がまさに今の今だと感じています。だからこそ、1つに両親が付けてくれた名前に運命と使命を感じ、大事に生きたいなと感じています。





命ってなんですか、多分時代や時空や歴史を遥かに越えた理由の形の答えの1つだと、思います。



今の命は、27代前までご先祖様を遡り数えてみると、1億人を超えたご先祖様に繋がるそうです。奇跡とはなんぞやと、まさにそれを感じる事実なんだと感じます。



今の当たり前は数分後には当たり前ではないかもしれない。それぐらい人の気付きのパワーは底知れないものです。



せっかくいただいた体に、宿した命を生きる自分、

何に時間を使い、何にエネルギーを注いで行くか、魂との対話を通して、一歩一歩、着実に地を伝っていきたいものだと思います。



言葉があり、声を発せられて、様々に体験を享受できる、そんな美しい世界が、地球なんだと思います。


感謝🌞😊🌈