


11月23(日)🌾㊗「新嘗祭」のハリマンヨガ
8:00~8:40くらい 🔶無料
Zoomオンライン
戦後に名前を変えられ「勤労感謝の日」と呼ばれるようになったこの休日は、戦前まで「新嘗祭」という祭日でした。
五穀豊穣に感謝し、天皇と国民が一斉に感謝と祈りを天地に捧げ共食する最大の祀りごとでした。
以前はこの新嘗祭まで新米は食べなかったそうです。
この日に五穀の代表である「米」を思い、五十音五十神から生まれた「音(祝詞)」のいくつかを奏上し感謝と祈りをささげたいと思いました。
一緒に五十音五十神の「音」を奏上されたい方はどうぞ参加ください。
「新嘗祭」「米」に纏わるささやかな話もさせていただきます。
この日はいつものハリマンヨガのようにからだや呼吸をほどいたりすることはないかも知れません。
簡単に「祝詞」の説明はする予定です。
途中参加、途中退出、顔出しなしでも大丈夫です。
(予定内容)
・「新嘗祭」と「米」の話
・「祈り」とは「意宣り」
・イザナギとイザナミ:稲作、あわの歌
・「稲 いね}とは「いのちの根っこ」
・五十音五十神
・トホカミエミタメ
・いろは祝詞
・ひふみ祝詞
🔶参加希望される方はメッセージください。
Zoom招待をお送りします
(10月にあげたブログ記事です)
入院中の母が「もう新米が出てることやねぇ」と呟きました。
とても静かに、たしかに。
ただいま、新米の候。
新米をいただく前に、今年の7月に投稿した記事に加筆してアップしました。
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私は実際に田植えも稲刈りもしたことは無いのですが。
米は小さな頃から50数年、病気でもないかぎり毎日食べてきました。
米を食べられることを当たり前のことだと思っていました。
昨今の「米」のあれこれのことで、ようやく「米」に意識が向いたようです。
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「稲」のことを「いのちの根」で「いね」と呼ぶんだと聞いたことがあります。
稲作はイザナギとイザナミが日本に広めたと聞いたことがあります。
民が安定して食べ物を食べていけるように。
日本では2000年途絶えることなく、稲(いのちの根っこ)を育て、米を食べてきました。
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田植えも稲刈りも神事で、稲穂は豊な繁栄の象徴とされてきました。
「宝もの」は「田からのもの」で。
時代劇なんかで粗忽者や愚かな人に「この、たわけもの!」と叱責する場面がありますよね。
「たわけもの」は「田を分ける者」が語源であるという説もあります。
親が田んぼを子供達に分け、その子供達が自分の子供達に田んぼを分け、と続けると田んぼがどんどん小さくなって田の豊かさが薄まっていく、「田を分ける」ような愚か者について使うようになったと。
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妄想かも知れませんが、ふと想いました。
イザナギ、イザナミが「稲作」を民に広めたのは、日本の民が自分たちの「いのちの根っこ」を忘れないようにではないかいな。
「稲作」「田んぼ」は常に水と日(火)とのつながりの中です。
稲は人が日(火)と水の力を借りて育てます。
火と水を人(靈止)が結び、稲(いのちの根っこ)を育て、米を収穫し、食べてこの身にいただく。
火水はカミとも読めます。
戦前、つい80年前まで天皇から庶民までが同じ日に一斉に新米をいただき、感謝し、意宣る新嘗祭というご神事がありました。
今では11月23日前のこの時期に新米収穫されるとすぐに出回り、食卓でいただくようになりましたが、昔はこの祭日ーご神事- 新嘗祭まで待って新米をいただいていたそうです。
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稲、いのちの根っこ、米。
「米」という文字は八方にひろがるエネルギーの様だと聞いたことがあります。
そして種もみから稲を収穫し米としていただくまでに、「八十八」の手間がかかるから「米」は 八 十 八 と書くのだと。
その 「 米 」 を私たちは食べています。
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また、イザナギ、イザナミは日本の民に、大地から離れるな、お日様から離れるなと稲作、田んぼを通して言っていたのかもと想ってもしまいます。
水、大地、お日様、そして自分たちの體から離れないように…大地に足をつけお日様の陽を浴びながら生きていってくれという願いがあったのかもと想ってしまいます。
昨今の「米の価格が高い高い!」「グローバル グローバル」の中では「米」は単にモノ扱いされているように見えてなりません。
Mindと詭弁の席捲する世界で「米」「日本」は単なるモノ扱いです。
なんか、違う氣がするのです。
「 新米 」という音に「 神米 」を想起します。
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