奥さん✨
あそび人(笑)
…固いココロ、閉じたココロは悪循環しかつくりませんよね。
やわらかく在りたいと思います。
力みがなく、地面からエネルギーを受けて、足の裏からスーッと背骨、頭のてっぺんまで素直に流れているような在り方。
スーッ とたって、ストンッ といて、ポンッ とあるような在り方、居方…
下記の文章は30数年前、大学生の時に書かれたものです。
この時はヨガの「ヨ」字も知らなかったですが、ハリマンヨガの芽はこの頃にすでにあったんだなぁと思います。
私は大学に、休学を入れると7年いました。
そうなると大学職員の親しい知り合いができたりします(笑)。
私が卒業する年に、学生部の職員から新入生に向けて何か文章を書いてくれと言われました。
それはもちろん私だけでなく他に四人。
・法律のゼミで一生懸命勉強した学生
・海外に留学した学生
・『なんとなくクリスタル』(古いか:笑)のように遊びに学びに学生時代を謳歌した学生
・「アイスホッケー」に打ち込んだバリバリの体育会系の学生
・当時大学六年生、色物として私(^.^)
(大学チャプレン室主催のキャンプ(Fieldでの学びの場)で沖縄の療養所施設やフィリピンの山岳地帯を訪れたり、日曜学校のスタッフとして子どもたちと一緒にいたり、演劇(からだとことば)の世界に飛び込んだり…学業はほとんどせず…)
「 こたえ 」「 正解 」を外に求めるのではなく、自身の「 からだのここち 」「 いのちのここち 」を感じ、味わいながら、
「からだの声」「いのちの声」に耳を澄ます。
当時の新入生にも、今のハリマンヨガに縁ある人たちにも、大切にしてほしいことは「一緒」だなぁと。
🌸
「自分で在る」こと
僕は夕暮れが好きです。夕暮れどきの商店街で買い物したり、散歩したりするのが好きです。
朝、昨日の疲れやいらだちをひきずって起きても、昼間いそがしくココロが いがいがしても、まぁるいあかぁい夕陽をみると、染まっている空、買い物しているおばさんみると、
ふーっと息を吐きだして、力が抜けて、すーっと立っている自分に気づきます。
空も町も柔らかいし、自分も柔らかく立っています。
夕暮れの魔法かなぁと思います。
夕暮れどきの不思議な力です。
昼間はだめです。時間に、きまりに、機械に、速さに自分を合わせ、人(自分も他人も含めて 人)に対してもついきつい口調になったり、冷たい言葉を平気で吐きます。
昼間は我慢して、自分をごまかしてやらなきゃいけないことが多すぎます。多すぎるから自分を押し殺したり、ごまかしたりしているのを忘れてしまいます。だから他人(ひと)にもいろんなことを強制できるのだと思います。
昼間にはきまりや「ねばならない」ことが多いですよね。そんなとき、自分や他人をごまかして我慢させるのに便利なことばが「・・べき」ですよね。
「そうすべき」「そうあるべき」ということばです。
自分が今あるのは、ある程度「そうすべき」「そうあるべき」といわれていることをやってきたからです。
ある意味では、いろんな「べき」に守られ育ってきた、育てられてきたともいえるでしょう。
今まで守ってくれて ありがとうって思います。
でも、そろそろいろんな「べき」をはずしていきたいと思います。
いろんな「べき」をからだにくっつけておくのが窮屈になってきました。「べき」をくっつけておく窮屈さ、そして冷たさ。高校生の頃から感じていたみたいです。
だからイラついたり、無気力になったり、人を責めたり遠ざけたりしたのだと思います。
自分でくっつけた「べき」なのに、他人のせいにしていました。その「べき」に頼って自分は育ってきていたのですが。
僕はいろんな「べき」を溶かしてしまって、夕暮れの世界に浸りたいと思います。逃避なんかじゃぁありませんよ。
昼間の「べき」の世界は好きではありません。自分も他人(ひと)も大切にされません。今の日本では経済が優先されています。お金の方が大切にされています。
そのために時に人は、時間や規則、秩序なんかで緊張させられ、分断させられ、ぶつぶつとぶつ切りにされることがあります。
ある曖昧な価値観で自分や他人を縛りつけています。
それぞれの人が、それぞれのあるがままでいることをなかなか許そうとしません。
自分の眼や耳や心を澄ましてながめればわかると思います。
学校の多くも「べき」の世界ですよね。もちろん、幸せにも「夕暮れ」みたいな学校で育った人もいるでしょうけどね。
そういう世の中で育ってきて、ひょっとしたらあなたも無自覚にいろんな「べき」をくっつけて、自分や他人を ぶつっぶつっっとぶった切って苦しめていませんかぁ。
自分の心を閉ざしたり、人を遠ざけようとしていませんかぁ。
僕は今自分で意識できるだけでも、小学校と高校時代に友人の心を固くさせました。
自分の眼や耳やココロにくっついた「べき」のために友だちの淋しさや混乱、辛さが見えませんでした。気づいていたのかも知れないけど、自分のものではない受け売りの「べき」を選び、人を遠ざけました。
そしてそのことで、自分もココロを固くさせました。
しかし、固いココロ、閉じたココロは悪循環しかつくりません。
やわらかく在りたいと思います。
力みがなく、
地面からエネルギーを受けて、足の裏からスーッと背骨、頭のてっぺんまで素直に流れているような在り方。
スーッ とたって、ストンッ といて、ポンッ とあるような在り方、居方。
自分で勝手につくり出した力みで、ぶつっぶつっとからだを分断させるような在り方ではなくて。
そういう在り方の手本を「夕暮れ」が示してくれているように思います。
夕陽、夕焼け、夕暮れの商店街。柔らかいなぁと思う。無心だなぁと思います。
昼間には人にも、自分にも街にもあった「べき」が溶けてなくなっちゃってる。そうしたら、やわらかぁくなっちゃってる。
僕たちの目の前には、すでに敷かれている快適で楽しそうなレールがありますよね。
そしてそこをたくさんの人が走ってますよね。
僕もそうなんだけど、大学に入るまであまり考えずにレールの上を走ってきた人は多いように思えます(その過程が楽しかったか苦しかったかは知らんけど)。でも、そのレールを無自覚に進んでいくのはやめた方がいいですよ。
少し落ちついたら自分が走ってきたレールのまわりを見てください。その行き先がどこなのか考えてください。そこを走っている人たちの表情を ようく 見てください。誰のためのレールなのか考えてください。レールを、レールを走っている人たちを、そこで起きている出来事をようく見てください。
そして同時に、自分自身がRelaxし、喜びを感じ、人を感じることができるのはどんな時かに注意を向けてください。
人が嬉しそうな顔をするのは、人がやさしく在る時はどんな時なのか、ようく見てください。
試行錯誤の中で、自分自身の中にある静かな中心に触れてください。在るがままに感じてください。
そうしたら、どんどんどんどんやわらかぁくなって、どんどんどんどんたくましくなってゆけますよ。
僕は「べき」という言葉を使いましたが、それとレールの上を無自覚に進んでいくのは同じことです。
無自覚に進むと行く先は自分以外の自分です。
それは硬直して苦しい在り方だと思います。
人は自分自身で在るとき最善で、いちばん柔らかく、他人(ひと)をも元気づけてあげるられるのだと思っています。
夕陽、夕焼け、夕暮れの商店街。やわらかいなぁと思います。
(1990年)
じぶんたちの いのちのスケールの大きさ、いのちのここちを知るために
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5/29鎌倉ワークショップ『 いのちのスケール、いのちのここち」
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いつでもご参加ください
ハリマンヨガはHRAI-MAN YOGAと書きます
HARI とは サンスクリット語で HOLLY の意味です
HARI-MAN
聖なる人間
ハリマンヨガの2本の柱
🔶からだをゆるめて、ほどいて、埒(らち)のない出発点ー零ーに還ること 。
日常が楽になります。
🔶自分の、人間のいのちのスケールを知ること、体感すること 。
日常がゆたかになります。
この二つ 。
ハリマンヨガのモットー
「頭は捨てる。シンプルにほんとうにやってみる」。


































































