先日目黒八芳園でヤスの「三浦兄弟」という自伝の出版記念パーティーに参加した。
発起人は元巨人の槙原選手や小野伸二はじめ友人達で300人位の盛大なものだった。
三浦兄弟の兄ヤスとの出会いは2004年9月。ヴィッセル神戸が楽天の三木谷社長の経営する会社に営業譲渡された年のシーズン開始半年後位だったと思う。人を介して現社長で当時の叶屋専務を紹介して頂いた。その時金融畑出身の叶屋さんはサッカーの世界をかなり特殊に見ていた気がする。
当然と思われている古いしきたりに縛られるより、経営面でも強化の面でも新しい風を入れて欲しいと思い、金融とサッカーの世界は当然違うが組織を強くする方法論としてのPDCA、楽天式に言えば仮説→実行→検証→仕組化は普遍的だという話をした記憶がある。当然こういったビジネスサイクルを回すためには客観的データとそれを用いた分析が必要だということで自ら神戸のサポートをする事になった。叶屋専務と話した数日後神戸に向かい現場及び強化部長と話す事になった。神戸に向かう前日1通のメールが届いた。
「明日神戸まで来て頂きありがとうございます。色々お話しできる事を楽しみにしております。
三浦泰年」
打合せの場所は当時の新神戸オリエンタルホテルのロビー前のカフェ。3時開始の打合せが終わったのはカフェがクローズする9時。翌日は監督のハシェックとコーチのパベルへのプレゼン。彼らにはかつてのジェフでのチームメイトリティから連絡がいっていたため非常にスムーズに終わった。この日から神戸と神戸の次節対戦相手の分析と映像編集のサポートを開始した。
この時ヤスから言われた事を今でも覚えている。
「森本さんよろしくお願いします。ただ自分も今まで監督には英語で分析レポート出していたのでそれは続けます。監督がどっちを使うか分かりませんが自分は試合に勝ちたいので自分で見たものをまとめて出し続けます。」
ある意味挑戦状みたいな言葉だった。毎週土曜日次節対戦相手の試合視察を行い、その足で会社に戻ってビデオでもう一度試合を見て記憶がフレッシュなうちにレポートをまとめた。データが出来あがるとレポートを検証しその内容に沿って映像を過去3試合遡って編集した。リスタートに関しては相手選手の身長、動き方等細かく映像に書き込んだ。17~18分の編集ビデオはリティからもらった数千曲の洋楽アーカイブから選んだ曲に乗せてミーティングで流してもらった。
1週間に3日は徹夜していた。意地の張り合いみたいなレポート・映像編集を始めてから確か5試合目位だったと思う。久しぶりに神戸が勝った試合後にヤスから言われた言葉は今でも覚えている。
「森本さん、この試合の分析の精度高かったですよ。僕はもうこの仕事しないので任せます。よろしくお願いします。」信用してもらうのに1ヶ月半位かかったと思うが正直ホッとした。
これが彼との出会いでそれ以降神戸を辞めた後もお互いの時間さえ合えば飽きずにサッカーの話ばかりする間柄になった。