この本の主題は、「アメリカとは何か、日本にとってアメリカとは何か」です。

その答えを出すために著者は、アメリカの源流たる欧州の歴史を五〇〇年さかのぼり、壮大な歴史叙述をします。

国家の歴史や戦争史や侵略史のみならず、思想史、宗教史、科学史にまで論述が及びます。

結論的な部分を私なりに理解するとこんな感じです。

アメリカは、中世ヨーロッパのキリスト教的な独善性と特権意識を有し、同じくキリスト教的な救世主的国家観で侵略を正当化し、「万人による万人の戦い」という自然状態の暴力性をもち、同時に最先端の科学技術を有する侵略国家である。

わかりやすく書きます。

かつてスペイン、ポルトガル、イギリス、オランダはアフリカやアジアや中南米を侵略し、インディオなどの原住民を虐殺し、奴隷として酷使しましたが、まったく罪悪感を持ちませんでした。アメリカも同じであり、インディアンや東京市民や広島市民や長崎市民を大虐殺してもまったく罪悪感を持ちません。つまり独善的なキリスト教的特権意識を持っており、自国を救世主だと思い込んでいるわけです。自分を文明だとし、周辺国を野蛮だと決めつけています。

近世の欧州では、コペルニクスやケプラーやニュートンによる科学革命が起こりましたが、その同時代におぞましいき魔女裁判が行われていました。異常な二重性です。つまり、科学と宗教的狂奔とが同時進行で行われていました。アメリカも同じです。最先端の科学技術を有しつつ、世界をアメリカ化するために侵略と陰謀とプロパガンダと戦争を繰り返しています。昨今のヘイト、LGBT、差別論は魔女狩りの発想と同じです。

こうした異常な新興国家アメリカに対して日本はどうすべきか分からなかったのだと書いています。
「わたしは最近、幕末から先の大戦までの日本人の本当の心理は何であったかと思うのだが、当時の日本人はどうしていいのか正直わからなかったんだと思う。アジアを開放するなんていうことではなく、アジアの仲間がほしかっただけだ。恐怖や不安を仲間と分かち合いたかったんだと思う。一緒にやろうよ、と。事実これは中国にも韓国にも早い時期に申し入れていたのだが、どうにもならなかったのは知っての通りである。相手が無知蒙昧、危機感も何もない。当時、危機感を持っていたのは日本人だけだった。それが日本の不幸だった。ひたひたと迫ってくる不安があった」

さらに著者は、「アメリカ人の共同体験には、砂をかむような個人主義と星条旗の元に一元化する愛国的全体主義という極端に対立した二軸しか存在しない」と書き、また、「文明が野蛮を制するというロジックは現代アメリカの政治や外交の底流にもあることは、歴史からの遠い信号として見逃せない」とも書いています。

かねてより、「アメリカは奴隷商人国家である」というのがわたしの直感でしたが、この直感は当たらずといえども遠からずだったと思います。

アメリカを知るためにも、日本の進路を考えるためにも大いに参考になる良書です。

最後に、著者の日本観を引用しておきます。日本も捨てたものではありません。ただし、自公政権の狂ったようなインバウンド政策はダメです。

「日本は世界で最もイデオロギーを持たない民族である」

「何でも外国から迎え入れる寛容な文化だが、原理主義的な宗教、イデオロジカルな教義は黙ってこれを脇に除け、近づけないできた。キリスト教もイスラム教も韓国儒教も、そしてじつは中国の儒教もしずかに拒絶している。けれども仏教についてはそうではない。なぜか、今上げたすべての宗教は背後に政治制度、社会習俗、法的価値観を抱えている。しかし、仏教にはそういうものがなにもない」

「日本人は自分を小さくして外に学ぶ。自分を未決定状態のままにして、できるだけ相愛的に物事を見ていこうとする。それが宇宙の中の個としてのあり方たという意識が確かにある。これは一方では日本人の弱さ、自己主張のなさになる。しかし他方では古代以来、世界のあり方とあらゆる文明が東から西からこの列島に入ってきて、日本の中で渾然一体となり、しかもここから先へは出ていかない世界文明の貯水池のような役割を果たすことを可能にしている」