戦後日本はアメリカとのつきあい方を間違えています。一方的に譲歩するばかりであり、完全に奴隷化しています。特に第二次安倍政権以後は、アメリカに言われるままにヘイト法、TPP、LGBT法、移民促進、難民受け入れ、種子法廃止、食品添加物促進、コロナワクチン、ウクライナ支援など、完全な属国と成り下がっています。

原爆投下に関するアメリカ側要人の発言に対しても、何一つ言い返すことができていません。本当に腰抜けです。

アメリカとのつきあい方を考える一つのヒントがあります。松岡洋右の体験です。

松岡洋右は、長州の室積に生まれましたが、実家の廻船問屋が倒産したため、少年の身でスクールボーイとして単身でアメリカに渡りました。

当時はまだ、インディアン戦争が終わりきっていない時代でしたから、人種差別が激しく、松岡も差別されました。学校ではいじめられました。しかし、英語を勉強して言い返し、殴り返し、やっとアメリカ人と友達になります。

その松岡の述懐です。

「原野に一本道があるとする。人ひとりがやっと通れる細い道だ。君がこっちから歩いていくと、アメリカ人が向こうから歩いてくる。原野の真ん中で君たちは鉢合わせだ。向こうも引かない。こっちも引かない。そうやってしばらく互いににらみ合っているうちに、しびれを切らしたアメリカ人は、拳骨を固めてボカンと君の横ツラを殴ってくる。さあ、そのときにハッと遠慮して、頭を下げて横に退いて相手を通してみたまえ、その次からその道で行き合えば、アメリカ人は必ずものも言わずに殴ってくる。それがいちばん効果的な手段だと思わせてしまったからだ。しかし、その一回目に君がへこたれないで何クソと相手を殴り返してやる。するとアメリカ人はビックリして君を見なおす。おや、こいつはちょっと骨のあるヤツだ、というわけだな。そして、それから無二の親友になれるチャンスがでてくる」



松岡洋右の青春期はアメリカ人との闘争でした。

のちに松岡が国際連盟でおこなった「十字架上の日本」演説は、日本の立場を見事に表明していました。松岡外交の基底には、この対米観がありました。

松岡外交が失敗したのは、アメリカがソ連と連合したからです。「自由と民主」を大声疾呼するアメリカが、まさか共産ソ連と連合するとは松岡の計算外だったのです。

要するに、アメリカの言う「自由」も「民主」も本気ではなかったと言うことです。プロパガンダでした。さすがの松岡も、そこを勘違いしたようです。

それはともかく、戦前の日本人は、松岡のようにアメリカとつきあいました。ワシントン条約がインチキだったと知ったので、自主外交路線をとり、満州事変となり、国際連盟脱退までいきました。

結果的に日米戦争となりましたが、その戦争惹起の主導権はすべてアメリカ側にありました。アメリカはシナ事変に介入し、対日経済封鎖をします。要するに、国力二十倍のアメリカが侵略してきたのですから、日本には為す術がありませんでした。日本がどうしようともアメリカは日本を侵略したでしょう。アメリカ人は侵略を正当化する人々であり、根っこは奴隷商人です。アメリカの本質は奴隷商人なのです。

戦後日本は、帰化鮮人に政治を乗っ取られているので、完全な隷属状態です。

まずは、国内の政治力学を変え、アメリカとのつきあい方も変えなければなりません。

 

https://ncode.syosetu.com/n4687gm/