「経済往来」昭和31年6月号に「A級戦犯の生活白書 巣鴨十年の記録」という記事があります。元陸軍軍人橋本欣五郎と弁護人林逸郎の対談です。その中で橋本が収監中に亡くなった人たちのことを述べています。(和中光次氏のツイートより)

松岡洋右(元外務大臣)
「一番かわいそうなのは松岡洋右だった。これは肺病ですよ。いつも左手に竹筒をもっていて、それに十分おきぐらいに血タンを吐いて苦しんでおった。ところがそのうちに、衰え衰えて風呂にまたがって入れないので、われわれがかかえて風呂に入れてやるようになった。それで、もういかんというので病院に入れた、そして死んだのですよ」


永野修身(元海軍軍令部総長)
「その次にかわいそうだったのが永野修身元軍令部総長。この人はもともと心臓病だったんです。
ある冬の寒い日にガラス窓がわれたんです。そこでもらった新聞紙を御飯つぶではるでしょう。すると規則違反というのでコッパグ。また張る、また取る。寒風りんれつとして入る。それで風邪をひいた。それから一ヵ月後に廊下にガーと喀血をしたのですよ。それでこれはいかんというので聖路加病院に入れたが、三日目が四日目になくなられたと思うんです」


梅津美治郎(元関東軍司令長官、元陸軍参謀総長)
「梅津大将は直腸癌で日に何度となく血便が出るのを我まんして裁判に出ていたが、遂に喪くなった。気の毒でたまらぬ」


東郷茂徳(元外務大臣)
「東郷さんが全然当番をやらないのですよ。いつも寝てばかりおるんだね。あの人は心臓病なんだ。そこで皆んなが、東郷のやろう心臓病と称して当番もやらないが、あれは仮病だ。あれを引っ張り出して当番をやらせなければならんというので、味噌汁をついだり、御飯を配ったりさせられた。と、ばかに疲れた様子をしているのだ。それでもわれわれは仮病だと思っておった。
ところが、ある日散髪をしたんだね。その散髪をするのにバリカンが持てるのは鈴木貞一と僕だけなんだ。他の人はやれないのだ。それで僕が刈ってやったのだが、その時に頭に手を当てると、頭の天辺がドッキ、ドッキとするじゃないか。それで僕はびっくりした。オイ、東郷は仮病じゃないよ、本当の心臓病だよ、これを仮病だなどといったらえらいことになるぞといった。
 それで入院したら、あの病気は歯槽膿漏からくるのだというので、全部歯を抜いちゃった。そんな療法があるんですね。しかし歯を抜いてもとうとうなおらずに死んだんです」



以上からわかるとおり、巣鴨では捕虜虐待が行われていました。フィリピンやインドネシアや支那各地で行われた裁判でも同じでした。連合軍こそ数々の戦争犯罪を犯したのです。