晴氣慶胤著「上海テロ工作76号」を読みました。

古い本ですが、支那事変当時、陸軍中佐だった著者が上海における特務工作を描いたものです。

日本が支那大陸に進出して後、日本は支那に親日政権をつくろうとします。そのために支那軍閥に金や武器を渡したのですが、ことごとくが失敗でした。張作霖、段祺瑞、呉佩孚、蒋介石、汪兆銘など、総ての特務工作が失敗でした。

この本は、対呉佩孚工作の失敗から、汪兆銘工作の破綻を描いています。

汪兆銘は、蒋介石政権の重鎮でしたが、あくまでも対日戦争を継続しようとする蒋介石を見限り、重慶を脱出して、ハノイへと逃れます。時を同じくして、蒋介石政権の特務機関でテロ工作をしていたふたりの支那人が晴氣中佐を訪ねてきます。ふたりは蒋介石政権のやり方に疑問を感じ、日本軍の支援を得て、汪兆銘のために働きたいと訴えます。

その名前は丁黙邨と李士群です。

 

晴氣中佐は、二度ほど会見したのみで、このふたりを信頼し、上海における対蒋介石勢力テロをやらせます。資金と武器を援助したのです。特務工作は大変に難しい任務です。相手を見て一瞬で信用できるかできないかを見抜かないといけないからです。

 

幸い、この両名は晴氣中佐の期待どおりの働きをします。ただ、ミスもしてしまい、すったもんだの事態となります。

わたしは、この名前を全く知りませんでしたが、読んでみると興味深い内容でした。つまり、このふたりは上海でテロリストとして活躍しますが、その活動ぶりは、まるで幕末の志士たちとおなじです。血腥いテロに手を染めながら、中華民国の復興を夢見ていました。

特務工作といっても、いったい誰が何をしていたのか、わたしにはさっぱりわからなかったのですが、この著作は、特務工作の一端を後世のわれわれに教えてくれています。

 

余談ながら、日本は100万の支那派遣軍をもってして支那大陸を制圧できませんでした。一方、モンゴル族や女真族などの北方民族は、もっと少ない兵力で支那大陸を平定しました。この差はなんでしょう。

 

おそらく遊牧民族の冷酷かつ厳格な掟が支那人を震い上がらせたのでしょう。逆らう支那人は容赦なく虐殺されたのでしょう。だからこそ、少ない兵力で支那を隷属させ得たのでしょう。

 

島国民族の日本人には、そんな苛烈な圧政はとうてい実行し得ず、甘々で、親日政権をつくってくれと支那人に依頼していたのです。そんな日本に南京大虐殺などできたはずがありません。逆説的に言えば、もし南京大虐殺をやっていたら、おそらく支那大陸を平定できていたでしょう。

 

これは日本人の甘さでもあり、弱さでもあり、良さでもあります。