国家間の条約や覚書があてにならないことは、ウクライナ戦争によって証明されています。
もともと核保有国だったウクライナは、1994年のブダペスト覚書を信用して核兵器を放棄しました。米英露の三国がウクライナの安全と独立を保証したのです。
しかし、この覚書は裏切られてしまいました。結果、ウクライナはロシアに侵略されつつあり、米英の支援で反撃してはいるものの、戦争状態となりました。
ブダペスト覚書は詐欺だったのです。
そして、このウクライナの事例よりはるか以前に、日本も条約詐欺に遭っていました。それはワシントン条約です。
第一次世界大戦後、太平洋方面の安全保障を確立するために締結されたのがワシントン条約です。アメリカの主導でできたものです。
日本も参加して海軍軍縮条約などの各種条約に調印しました。
そして、締結後の十年間、ワシントン条約をもっとも忠実に遵守したのが日本です。他方、ワシントン条約を全く守らなかったのが中華民国です。
中華民国が余りに条約破りをするので、業を煮やした日本政府はアメリカ政府に抗議しました。要するに、中華民国に条約を守るようアメリカから圧力を掛けて欲しいと訴えたのです。
すると、アメリカは意外な回答をしてきました。
「各国は自由に行動する権利を有する」
この回答に日本政府も日本国民も激怒しました。それはそうです。条約が無意味だとアメリカ政府がヌケヌケと言ったからです。
ワシントン条約を空文化させた張本人は中華民国とアメリカだったのです。
それならというので、日本の関東軍が満洲事変を起こしました。日本国民は歓呼の声をあげましたが、それはアメリカの裏切り、つまり条約詐欺に対して快哉を叫んだわけです。
しかし、アメリカは一枚上手でした。アメリカ政府は前言を翻して日本に対して「ワシントン条約を守れ」と言い出したのです。中華民国に対しては何も言わずにです。
極東裁判史観がいかにインチキであるか、ここでわかります。満洲事変の前のことに触れないのです。
ともあれ、日本政府が激怒したのは当然です。こうして日米関係は徐々に悪化していきました。
われわれは満洲事変の前になにがあったかを知るべきです。アメリカが条約詐欺を日本に仕掛けたのです。
ウクライナと同じような目に日本もあわされていたのです。
こうした歴史を語れないのが今の日本です。保守言論人も、この事実に触れません。エセ保守ですから。本当に戦後日本はダメになりました。
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昨今話題になっているワクチンの関する条約もおそらく詐欺ですね。