昭和12年学会という学会ができました。

その学会創設の中心人物は藤岡信勝、倉山満、宮脇淳子の三名です。

日本でもようやく歴史修正史観が動き始めました。戦後からすでに70年近くが経過しています。動きが遅いといえば遅いです。でも、ないようりはましです。

明治維新で徳川幕府が滅びてから、三成悪人説が消えていき、石田三成が名誉を回復するまでおそよ70年がかかりました。それにくらべると戦後日本の歴史修正はまだまだ時間がかかるでしょう。なにしろアメリカは健在ですから。連合国(国連)は存在していますから。

GHQの洗脳が巧妙だったのにくわえ、メディアや出版界が共産主義に染まってしまいましたから、なかなか歴史修正が進みません。

それでも歴史修正の動きが出てきたことは慶事です。

本書の中にはいくつか興味深い話がありました。

明治の日本は朝鮮半島から満洲、支那へと進出していきました。そこで日本人が直面したのは残虐な「ユーラシア大陸の掟」でした。犯罪が非常に残酷なのです。

ときどき日本人が殺害されました。その殺され方が酷たらしく惨かった。それをみた日本人は驚嘆しました。軍人が殺される場合もありました。死体は無残に辱められていた。

だからこそ戦陣訓に「生きて虜囚の辱めを受けず」という文言が加えられたとのことです。ユーラシア大陸では捕虜になったが最後、惨殺される。ならば、いっそ死んだ方がよいのです。

事実、敗戦時に満洲から引きあげてきた邦人は支那人とロシア人と朝鮮人からひどく虐待されました。虐待される理由が日本人には理解できませんでした。あまりにも残虐すぎたからです。お人好しの日本人は、

「日本がひどいことをしたから、やり返されたのだ」

とバカバカしい自責の念にとらえられてしまいました。しかし、違います。勘違いです。

 

日本人がひどく虐待されて理由、それは「ユーラシアの掟」です。大陸人にとっては残虐であることが普通なのです。島国日本とは文化が異なるのです。

その事実を一部の日本人はわかっていましたが、敗戦国の悲しさで抵抗する手段は皆無でした。

 

ちなみに日本がソビエト連邦を国家承認したとき、同時に治安維持法を成立させました。共産スパイを警戒していたのです。昔の日本人はまともでした。今の日本にはスパイ防止法さえありません。

 

このままでは日本文化は「ユーラシアの掟」に呑み込まれ、消滅していくでしょう。国際化ほど愚劣な政策はありません。

日本の歴史修正がすすむことを願います。