つづいて江崎道朗著「コミンテルンの謀略と日本の敗戦」の感想です。

この本の結論部分において著者は次のように書いています。

「われわれはいまこそ、五箇条のご誓文につらなる保守自由主義の系譜を再発見すべきなのである」

保守自由主義とは、簡単に言えば聖徳太子以来の「和」の精神です。聖徳太子は「ともにこれ凡夫のみ」とおっしゃいました。みんなバカなんだ。だからこそ仲良く話し合って知恵を出し合おう。凡夫だからこそ「和を以て貴しとなす」なのです。エリートによる全体主義とは反対の思想です。

これは五箇条のご誓文に受け継がれます。「広く会議を起こし、万機公論に決すべし」です。

そして、これが大日本帝国憲法の精神となり、帝国議会の開設になります。

これが日本古来の保守自由主義です。君民協治の思想です。

この保守自由主義を研究し、守ろうとしていたのは、小田村寅二郎、美濃部達吉、吉野作造、山本勝市、佐々木惣一などです。

この自由保守主義者たちは、社会主義や自由主義や共産主義を学術的に研究しようとしました。あるいは帝国憲法における天皇の地位について機関説を唱えました。

ところが、これを弾圧したのは右翼全体主義の人々と政府でした。上杉慎吉が学者の中心でしたが、これに政府機関が力を貸しました。政府は言論を弾圧し、こともあろうに保守自由主義者を大学から排斥し、一方で若い学生に教育勅語の暗記を強制したりしました。

これに左翼全体主義者が加わって保守自由主義をたたきます。その中心は横田喜三郎、宮沢俊義、北一輝などでした。

当時、治安維持法があり、共産党は壊滅していました。共産党員も検挙されました。しかし、転向すると許されて釈放され、就職先まで世話されました。左翼のインテリだったかれらは官民の研究機関や言論機関に職を得ました。共産党はつぶされても、共産主義は生き続けていたのです。

結果、保守自由主義は、右翼全体主義と左翼全体主義から挟撃される形勢となり、世の主流から転落します。全体主義者は、口では天皇陛下万歳を叫びましたが、実際には天皇大権をないがしろにする言論を展開し、君民協治の保守思想を排撃して全体主義を推進していきました。

これが日本の自滅です。

今日、保守自由主義と称しうる論客がどれほどいるでしょう。学校教育の中で保守自由主義がどれだけ教えられているでしょう。まったく寒心に耐えません。

 

無思想が国を誤る。

 

反省するなら、そうならないように保守思想を身につけるべきだということです。