関静雄著「大正外交」を読みました。
幣原喜重郎の頑固なまでの国際協調外交のよってきたるところに興味があり、この本を読みました。
この著者は極東裁判史観の持ち主らしく、概してアメリカをもちあげ、日本の自主外交に批判的ですが、それでも歴史学者だけあって歴史的事実は踏み外していないようです。
国際協調外交、対米宥和外交は原敬がはじめたものです。
第一次世界大戦においてアメリカが示した圧倒的な軍事力に脅威を感じた日本人は、対米関係をどうするかについて真剣に考えたようです。原敬は対米協調主義、後藤新平はユーラシア連合構想、石橋湛山は外邦領放棄論を唱えました。アメリカの覇権に対してどう対処するかが課題でした。
幣原喜重郎は、原敬の対米協調外交を踏襲しました。
また、幣原は外交をイギリスの対米外交から学んだようです。イギリス外交は、アメリカが不当なことをしても静観する方針をとっていました。抗議してもどうせアメリカは反発する。だから、黙って静観し、アメリカ政府自身が自らの誤謬に気づいて、その不正をただすまで待つというのがイギリスの対米外交でした。
幣原喜重郎は、このイギリスの対米外交を猿まねし、また、対支外交にまで応用したようです。これがいわゆる幣原外交としてあらわれたわけです。
イギリスと日本の根本的な違い、人種や宗教の違い、そうしたものを幣原は計算に入れなかったようです。なんとも愚かしい。
しかし、こうした誤謬はこの時期の日本人の通弊でした。外国の猿まねをして失敗するのです。イギリスではこうなっている。アメリカはこうしている。そういって、外国のやり方をそのまま真似して失敗する事例が数多くあったようですが、幣原外交もその典型でした。
インドの激辛カレーを日本にそのまま移入しても売れないのは当然です。これと同じ大失敗を大まじめに推進してしまったのが幣原外交でした。
残念なのは、日本の歴史学者は概して極東裁判史観の持ち主なので、異常なまでに幣原びいきです。これではいつまで経っても正しい歴史解釈は生まれないでしょう。
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