宮慶治著「アメリカの対日謀略史」という本を読みました。これは昭和十七年に出版された古い本です。この本はアメリカという国の性質を見抜いています。要するに侵略国家であるということです。

 

『機会があれば膨張しようとするのが米国である』(エマーソン)

『モンロー主義は伸縮自在なることインドゴムの如く、その間口の広いこと戸外のようである』(ニューヨック・サン紙)

 

著者は、アメリカ外交の欺瞞を見抜いており、平時にこそ警戒が必要だとして、次のように書いています。

 

『アメリカの門戸開放政策は、常に親善の仮面のもとに強行されてきたことに注目しなければならぬ。武力ばかりが帝国主義の武器ではない。平和的、経済的の武器のあることも知らねばならぬ』

 

アメリカは常に独善的です。「必要の前にはいかなる手段も正義となる」というのがアメリカ人の論理です。だから広島と長崎への原爆投下や東京大空襲もアメリカ人にとっては正義です。著者は次のように警鐘を鳴らします。

 

『親善と侵略の使い分けの図々しさこそ米国本来の政策であり、親善、平和、正義はつまるところ侵略の大前提にしか過ぎないことを忘れてはならない』

 

この著作は戦時下のものではありますが、単なる反米本ではないように思います。事実に基づいて書かれているからです。たとえばフランクリン・ルーズベルトは明治三十九年に次のように述べたと言います。

 

『日本国民は傲慢で好戦的で、日露戦争に勝ってから付け上がりすぎているから米国は、日本を目標として海軍を拡張し、その増長を抑えねばならぬ』

 

すでに明治三十九年の段階でルーズベルトは日本侵略の意図を持っていたといえるでしょう。アメリカが世界各地に派遣したキリスト教の宣教師は、侵略の工作員でした。

 

『正義、人道を神の御名によってふりかざし、もって人心深く食い込む宣教師群であって、昭和五年の支那在留外国宣教師六千三百四十六人中、三千五十二人は米国人なのであった。・・・もっとも直接に米国文化を支那人の裡に移植する学校機関は、各地に壮麗な建物と潤沢な資金とを投じて建設され、その中には広東の嶺南大学、南京の金陵大学、上海の聖約翰大学、同じく浙江大学、北京の燕京大学等我が国にも名の聞こえた著名なものがある。これらの大学は蒋介石政権の奥地逃避とともに、重慶、昆明に移転したことはよく知られている。・・・教育事業はこれら大学にとどまらない。さらに基本的に初等教育、幼稚園にまで及んでいる。すなわち全支那の新教の教会で経営している二千七百九十五の小学校のうち、米国系教会の経営しているもの千六百十三校、二百五十五の中等程度のミッションスクールのうち米国系は十五校、幼稚園は百十三箇所中、米国系百箇所と圧倒的の数字を示している。これらの教育機関で、抗日敵の教育を幼少の頃から受けてきたのが現代支那のインテリ層である。彼らが徒に米国の魔手に踊らされ、日本の真意を理解しようとはせずに、抗日陣営中に大半を投じていることは、これまた米国の謀略が遠大な目的を持って行われていたことを物語っているではないか』

 

なんとも長期的な日本侵略の謀略をアメリカは実施していたわけです。そして、教育とともに新聞も日本侵略の重要な手段でした。

 

『米国は幾多の支那新聞に投資を行っている。欧字新聞として天津の河北明星報、上海の大美晩報、大陸報、華字新聞では中美日報、大美報、華報、新聞報、新聞報夜報、華美晩報、大美晩報、申報などがある。これら諸新聞がどれほど支那民衆を誤らせているか、その報道が常に日支事変の各段階にわたって歪曲と捏造に終始しているかは、すでに我が国民で知らぬ者もあるまい』

 

そのルーズベルト大統領が日本侵略の本性を剥き出しにしたのは昭和十三年です。

 

『昭和十三年十二月、アメリカは援蒋政策を発表し、二千五百万ドルの信用供与をした。支那が桐油をアメリカに渡し、アメリカはガソリンとトラックを供与した。以後、蒋介石援助は拡大する』

 

そして、昭和十四年七月、アメリカは日米通商条約の廃棄を一方的に通告しました。この時点で、アメリカは日本に対して宣戦を布告していたといってよいでしょう。

 

GHQの押し付け歴史は大嘘です。真の歴史は敗戦国の側にある。つまり、日本の戦前の著作にこそ歴史の真実があるといえます。だからこそGHQは焚書を実施したのです。