今、名古屋市が市内の名古屋城を巡って揺れている。名古屋城天守まで障がい者も昇れるようにエレベーターを設置すべきだと言う主張が当事者から出ていた。これに対し別の市民からは「税金の無駄」「外観を損なう」などの反発が出ており、その中に差別用語が入っていたと言うのだ。それを止めようとしなかった河村市長にも障がい者団体は猛抗議している。私は介護職なので、この件について利用者に尋ねてみた。1人は生まれつきの小児麻痺で私が車椅子を押させて頂いているA子さん。彼女は開口一番「エレベーター付けろって言うなら金出せと言うんだ。一体いくら金がかかると思っているんだ。ここ(12階建て都営住宅)の4基のエレベーター、点検費も含めて年、数百万掛かるんだよ。名古屋城のエレベーターだって、どうせ健常者が乗る事になっちゃうんだよ。」この後も彼女の口からは税金とか甘えるなとか激しい言葉が並んだ。天守に昇ったってたいした事ないそうだ。彼女のお身内が旅行好きで首都圏の城、例えば千葉の久留里城、館山城に行った事があると言う。この方は裁縫が得意でその技術で会社に長年勤めており税金にはシビアでいらっしゃる。

もう1人のB子さん、彼女も幼い頃から足に障がいがあるが自操の車椅子なので御自分で買い物に出かけられる。この方はそもそもお城に興味が無い。名古屋城の話題を振っても「あっ、そう」というだけだ。ご自分の行くスーパー、あるいは時々、健常者の友人と行くデパートはエレベーターがあるので別に大枠では生活に支障が無いとの事。東京の城と言えば江戸城(皇居)だが特に興味無いようだ。

  仮に名古屋城にエレベーターがついたとしたら、それは名古屋城の問題が完結しただけである。日本全国、エレベーターの無い建物は沢山あるのだ。10年以上前、90代の女性宅へ伺っていた事がある。この方は常々、すぐ近くのファミレスに行きたがっていた。しかしこのファミレスは2階にありエレベーターがなかった。私はずっと、障がい者や高齢者が階段を昇れるロボットがあればと考えていた。複雑な電子回路を持つものでなく後ろで介助者が支えられるような、そんな機械があればなと思っている。

 そのような介護用ロボットの研究をされているのがタレントの、いとう まいこさんなのだ。

今回の名古屋城の問題で訝しく思うのは日本全国、健常者、障がい者を含めてお城に深く興味を持つ人ってどれだけいるのだろうか。何が何でも天守に登りたいって言う人、どれだけいるんだろう。名古屋市民だって名古屋城に興味無い人多く居るんではないだろうか?まあ、自分の前世記憶が戦国武将で湧き上がる天守への想いがあるなら別だが。そういえば東京生まれで父の転勤を除けば東京で育った私も東京タワーへ昇ったのは一回だけだったと思う。

歌舞伎の演目には、心中物が多くある。それは殆どが男女の道ならぬ恋の結末である。例えば若い僧侶と遊女とかね。「来世で結ばれよう」と誓ってお互いの体を紐で結んで川に飛び込む。江戸時代、「曽根崎心中」という演目が大評判となり、これに影響されて心中する若い恋人達が続出。幕府はこの芝居の上演を禁止したと言う。そんな中で一家心中を扱った作品は聞かないね。同性愛心中で思い出すのは「桜姫東文章」の冒頭、「江の島稚児が淵」の場だ。若い僧侶と美しき稚児が手を取り合って海に飛び込む。僧侶は生き残ってしまうが、後に、この稚児が高貴な姫君「桜姫」として生まれ変わり、件の僧侶と出会うと言う展開だ。片岡仁左衛門と坂東玉三郎のコンビはこの世の者とは思えない美しさ。錦絵を見ているようだった。

✴️私は昭和60年、先代市川猿之助の「ヤマトタケル」を新橋演舞場で観た事がある。サーカスのように猿之助が宙を飛び三階席まで飛行して来るド迫力。当時の猿之助は「12時間労働の上、宙乗りの際のベルトが足の付け根に食い込んで痛い」とコメントしていた。その上重い衣装である。「あんなの歌舞伎じゃない」と言う重鎮俳優やファンの批判も矢のごとく飛んでくる。実際役者は不眠不休の仕事でストレスも半端無い。未だに手元にあるパンフレットには故高円宮殿下、当時の中曽根総理などが賛辞を寄せている。今の猿之助の舞台を動画で見たが宝塚的な要素があった。一座を率いる重圧や人間関係、孤独感、それは当の猿之助さんにしかわからない。私が軽々しく論評する事は出来ない。「生まれ変わったら一緒になろうね」は若き日の松田聖子さんが郷ひろみさんとの別離に際して発した言葉だ。だけど宇宙の刑務所とも言われる、この世に、また生まれ変わろうと思うんだからスゴイよね。私はあちらの世界に行ったら(この世はあの世の幻影と言われているので)認知症の母が入所している施設の近くJR総武線、幕張本郷駅上のプロントと言うコーヒーショップで時間を気にする事無く元気になった母親や祖父母と語り合いたい。「お母さん、そこのコンビニに行って来るね」と言って東京に戻る時の辛さ。暗い気持ちで眺める夕暮れの江戸川や荒川。そんな光景はいつか終わるのだろう。猿之助さん、自殺幇助の罪で逮捕されてしまうかもしれないが、それも運命だよね。生きて行く事は辛く大変な事だからね。ヤマトタケルや平知盛のように白い翼を持って空に飛んで行くわけにいかないんだから。

      ✴️先代の市川猿之助さん

✴️現在の猿之助さんの父上で亡くなった市川段四郎さん。

 

 

 

 

 

 

このブログ主、春さんは34歳の時に脳腫瘍が見つかり、以後、3大治療をせずに現在に至っております。その春さんが4年前に出会ったサトシさん。当時、彼は絨毛癌ステージ4で全身転移の状態でした。そこからの回復、一体どんな事をされたのでしょうか?サトシさんはまず、生活習慣を見直したとのこと。病気になる前は早朝から日付けが変わるまで仕事漬けの毎日。タバコは1日ひと箱。食事はコンビニ弁当かカップ麺。どのような事を実践されたかは春さんのブログをお読み下さい。

   癌サバイバーの方の体験談は糖尿2型、高血圧、アレルギー、精神疾患の方にも参考になる部分が多くありますので是非ご覧下さい。