こんにちは。
 
昔の新人類
ふく耳です。
 
 
 
今日は暖かかったです。
オープンカーをオープンにして
走っている人も見ました。
 
 
 
 
この尾石晴さんの
Voicyを聞いて
「うん、うん、そうだよ」
と共感している自分がいて
子育てが終わっても
自分は
あの時の不満を
解消できていないのだと気付きました。 

 

 

 

それは

子育ての責任を負っていて

メインに動いている人は

自分がどうにも動けないときなどの

たいへんな時用の

切り札

(例えば

お風呂はなしとか

夕ご飯はカップ麺で済ますとか)

を持っていて、

大変な時をやり過ごせるようにしている。

 

 

 

だけど

サブ(お手伝い感覚)の人は

サブなんだから

その切り札を

メインに使うなよ、というお話です。

 

 

 

聞いていて

「あー、確かに頭にくるよな」

って

子育てしていた当時を振り返って思いました。

 

 

 

子育てや

介護の

「ケア労働」って

本当に大変なのに

やってない人は

「タダでやれ」

「愛情をかけてやれ」

「世の中で働く方が大変なんだ」

みたいな感覚があると

捉えています。

 

 

 

どこが?

って言われれば

それは

「24時間365日体制」

に尽きると思います。

 

 

 

イヤな

上司やお客さんもいるかもしれない。

だけど

その人たちは

自宅のトイレまでは

追ってこない。

浴室にまで

入ってこない。

 

 

 

自分の命に危険を感じたら

逃げることができる。

 

 

 

だけど

この「ケア労働」は

身内が相手で

逃げられない。

 

 

 

しかも

無償。

 

 

 

未だに書いていて

キリもなく

こみあげてくるものがあるくらい

感情が消化されていないのです。

 

 

 

義理のお母さんは

「あのころ

どうやって

子どもを育てていたのか

わからない」

と言っていたなあ。

 

 

 

結婚、子育て、介護

人生は

いくつものハードルを越えていくものなのなのですね。

 

 

 

今なら

これらをスルーする人生もあると

わかるのだけどな。

当時の自分には

全くわからず

すべて挑んでいたわ。

 

 

 

この音声は反響も多かったらしく

続編も流されています。

  

 

 

 

 

 

 

 

最後までお付き合いくださり

ありがとうございました。

 

皆さんが良い一日を過ごせますように。