2017年11月にアメリカ・ジョージア州に引っ越してきました。

夫と5歳の娘と3人で、初めての海外生活を楽しんでいます。

 

アメリカに来て3度目のクリスマス休暇。今年はカンクン(メキシコ)とハバナ(キューバ)へ行ってきました。

 

12月22日(日)。旅行2日目。

 

今日はHISのツアーに参加して、マヤ文明の遺跡「チチェン・イツァ」に行く。「チチェン・イツァ」はマヤ人の言葉で、チチェン=泉のほとり、イツァ=イツァ人を意味する。

 

何組かでバンに乗って行くのかと思いきや、意外にもしっかりとした観光バス。参加者は7家族だけなのでゆったり快適。

 

マヤ文明はB.C.2000年頃からA.D.1500年頃にユカタン半島全域とその付け根付近(メキシコ南東部、グアテマラ、ベリーズ)で栄えた文明で、ざっくりと先古典期、古典期、後古典期の3つに分けられる。チチェン・イツァは古典期に属する旧チチェン・イツァと後古典期に属する新チチェン・イツァに大別されていて、今回訪れたのは新チチェン・イツァ。10世紀以降に栄えたマヤ文明の終盤の遺跡。

 

 

(↑マヤ遺跡一覧からお借りしました)

 
カンクンからチチェン・イツァまでは遠く、300km以上あった。その間、ほとんどがジャングルの中を走る高速道路。ようやく降りたところにリュウゼツラン(テキーラの原料。アガベと呼ばれている)のような植物があった。ガイドさんに尋ねると、はっきりとは分からないけれど、その仲間とのことだった。

 

遺跡付近の町では、カンクンとは全く違う地元の様子が見られた(カンクンはマイアミをモデルにしているだけあり、メキシコだけどほぼアメリカのリゾート地の雰囲気)。マヤ人の方々が暮らしている。日本人と同じモンゴロイド系。身長が低いのが特徴で、男性でも平均身長は150cm台とのこと。遺跡内で会った現地のガイドさんも確かにそうだった。

 

 

(多分)学校。

 

 

 

 

遺跡に近付くとこのような路上の店が増えてくる。

 

遺跡のゲートを入ると、さらにぎっしりとお土産物の屋台が並ぶ。それほど営業してこない人が多いが、日本語で「ほとんどただ!」とか、出口近くの店では「最後のチャンス!」と言ってきた。

 

 

チチェン・イツァは世界文化遺産。1988年登録。

 

 

 

 

ハリナシバチの巣。写真では見えにくいけれど、みつばちよりもずっと小さなハチがぶんぶん飛びまわっていた。言われないとハチと分からないようなハチ。このハチのみつを使った製品(はちみつ、石鹸やボディクリームなど)が、この後で行く近くのセノーテの売店で売られていた。

 

私はシルバーの店で自分用のペンダントトップを作ってもらった。マヤ文字で名前の一部が書かれている。メキシコはペルーに並ぶ銀の産地。

 

 

 

さて、遺跡めぐりの始まり。ここはエル・カスティーリョ。「城」の意味で、遺跡の中心的な存在。これは西面で一番発見当時の状態に近いらしい。エジプトのピラミッドとは違い、お墓としての役割はないという。

 

ここは南面。左側は修復前、右側は修復後。修復の際はいったん全てを解体し、土、草、汚れを取り除いてから再度元の場所に戻すと聞いたが、右と左では石の種類から違って見える。

 

南面の足元でイグアナを発見。

 

ここが正面(北面)。正面にだけ「ククルカン」という羽の生えた蛇の神様がいる。

 

面白いのは、年に2回(春分と秋分の日)、この蛇の身体の部分が陰になって現れる「ククルカンの降臨」と呼ばれる現象。

 

 

このように↓(画像はたびこふれというサイトからお借りしました)

 

このピラミッドは9世紀の初めに完成したといわれている。そのような時期、既に暦や天文学、そして建築技術が高度に発達していたマヤ文明。

 

また、このピラミッドはそれ全体でマヤの暦を表す。階段は91段。91段×4面=364段。ここに頂上の大きな部分を1段として、1を加えると365日となる。さらに、9層の基壇が階段で右と左に分けられ(9層×2=18)、これは1年1=18ヶ月だったハアブ暦を表しているという。カレンダーのようなピラミッド。面白い。

 

こちらは戦士の神殿。

 

最上段の真ん中に小さく見える像は「チャック・モール」と呼ばれる。(生きた)生贄から心臓を取り出し、チャック・モールのお腹の上に置いて神様に捧げたとのこと。

 

チャック・モールは手をお腹の上にのせて腹筋しているような姿。

 

鷲とジャガーの基壇

 

心臓を食べる鷲とジャガーが描かれているという。マヤ人は森に住むジャガーを恐れ、また強さのシンボルと考えていた。ジャガーの声を出す玩具を売る屋台がたくさんあった。

 

ツォンパントリ(=頭蓋骨の城という意味)。生贄のガイコツをさらす場所だったらしい。

 

ジャガーの神殿。今は石の色(グレー)一色の遺跡だけれど、当時はそれぞれの建物がいろんな色で塗装されていたらしい。この神殿の一部に当時の色が残っているのが観られる。

 

畏怖の対象とは思えない可愛らしいジャガー像。

 

球戯場。ボールを輪(右側壁の真ん中上部にある)にくぐらせるゲームをするための場所。諸説あるらしいが、勝ったほうのキャプテンが生贄としてささげられた、という説が有力。まさに命がけのゲーム。音を逃がさず反響を良くするため、両側の壁を少しだけ内側に倒して設計されている。中で手を叩くとなるほどよく反響した。

 

首を斬ったり斬られたり、勝敗がついた後の恐ろしい様子が描かれている。

 

 

野良犬が多いけれど、みんなのんびり穏やかそうで、襲ってきそうな怖い犬はいなかった。

 

ビュッフェランチの後、

 

イキルセノーテ。セノーテを生で見るのは初めて。思ったよりも色が黒っぽく見えたけれど、水は透き通っていて綺麗だった。

 

この辺りはジャングルなのに、川は全く見当たらないという。それは土壌が石灰岩質で、雨水が地上に溜まらず、全て地下にしみこむため。そうして地下に水の溜まった空洞ができ、空洞の上の地面が崩落してセノーテになるという。ここは水深約50メートル。

 

 

イキルセノーテを出て、周辺の町を通り、スイトゥンセノーテへ。

 

 

 

 

 

 

こちらのセノーテへはこのような階段を下っていく。

 

中には舞台が用意されており、それぞれ好きなポーズで写真を撮っていた。水に入っている人もいるけれど、ここは暗くて少し勇気が要る雰囲気。

 

セノーテというより鍾乳洞。

 

 

2つ目のセノーテから2時間ほどかけてホテルに戻ってきた。

 

今日も綺麗な海。

 

 

 

今夜の夕食はホテルのイタリア料理。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いい時間を過ごすことができました。