蒸し風呂

余談ですが、風呂敷が文献に出るのは徳川家康の頃だが、
実際に使っていたのは室町時代、蒸し風呂に入る時に
着物を包んだり、足を拭いたりと使用した。
風呂で使ったので「風呂敷」と云われたのである。

これが次第に改良され、包み布の代名詞となり
布団などの大きなものを包む大風呂敷が普及し
火事などの際、大事なものを包んで逃げる。
小物等は風呂敷などで包んで天井から吊るす。
長屋によっては、押し入れが有るところもあるので、
その場合は、更に狭く三畳になる。
蚊帳などの行商で知られる近江商人は節倹で伊勢商人と
よく比較される
行商してるのですから旅慣れてるのは当たり前の事です
旅籠はいつも安い所に泊まった
辻堂

更に商品と宿泊用の道具一式を風呂敷に包んで背負っていた
もし、旅籠が無いときは辻堂や寺の軒下とかに野宿もした。
ただ辻堂などは決して楽な所ではなかった
寺社の軒下や辻堂、土手の草むらなどである。
与謝野蕪村の句
「辻堂に死せる人あり麦の秋」
は、そうした人の句である。
初期は風呂敷も無地無紋だったが、後に京友禅や
江戸小紋で染めた正絹の品が出てきた。
風呂敷は、包むことが文化である。
包んだ後に相手に渡すことに意味を込める
御祝事なら蝶結び、慶事は何度あっても良いから
解いては又結べる蝶結びが良い。
結婚祝いは「これっきり」という意味で、結びきりの「日の出結び」
結納目録や結婚のお祝い物をつつむ風呂敷も結ばずに平結び。
こうすると、縁の結び目が解かれないからである。
不祝儀の時は、これっきりにしたいので、水引き固結びにして
解けなくする。

更に、贈物を袱紗に包む時、慶事は右包み
悲しみは左包みである。
これは養老3年(719)に出された法令に寄るのだから
誠に古いものである。
諸民の左袵(さじん)を禁じ、すべて右袵(うじん)に改めた
右袵とは着用者の右前を下に、次に左前を
その上に重ねる着装法であり、今日の婦人服の合せ方は左袵で、
和装は男女とも右袵になります。
右袵が一般化すると、左袵は物事の逆様、
つまり縁起の悪いことを意味するようになり、
平常と異なる状態、すなわち死人は生きている人と
区別して左袵に着せるようになりました。
この法令以降、今迄着物を左前でも右前にでも着ていたのを
全て右前に決まった。
以来、生きてる人は右前、死人は左前になったのである。

右前(みぎまえ)
着付けの時に、右手で持っている部分を先に合わせて着る。
相手から見たときに右の衿元が上に重なっています。
左前(ひだりまえ)
着付けの時に、左手で持っている部分を先に合わせて着る。
相手から見たときに左の衿元が上に重なっています。
着付けのマナーとしては、上の画像のように
「右前」で着るのが正しいとされています。