お事始め

事始めとは逆にお事納めとも云われる、

つまり12月8日と2月8日とを逆にする説もあった

正月が終わって通常の生活に戻るという意味で

いずれにしても区切りの日であった。

 

この日は、江戸中に竹棹が空に立てられて、

まるで箸を並べて立てた様であった。

竿の先には、丸籠がひっかけてあった。

これは災厄や病魔の家への侵入を防ぐという

意味で節分にも似た儀式であった。

御事汁」と「針供養」(江戸の祭礼と歳事) : 気ままに江戸 ...

当日は、御事汁も出ます。

小豆入りの汁で、小豆の他に、牛蒡、大根、芋、

豆腐、焼栗、クワイ、を入れ味噌で煮込む。

 

多くの種類の具を追々煮ていくので、追々が

甥甥になり、従兄弟汁とも呼ばれた。

 

一方でこの日は婦人たちは折れた針を集めて淡島社に

納め、丸一日休んで針供養をした

ただ、上方の方では11月にする。

江戸城大奥でも、呉服の間があり、そこでは、

儀式用の装束以外の衣裳を作ってたが、

針供養は11月9日でした。

これは、御台所を亰から迎えていた関係なのでしょうか?

 

針仕事   歌麿

  メタボンのブログ 

お事初めの日に呉服の間の者がするのです。

供養ですから1日休めそうなものですが、何分か

早くしまうくらいのものでした。

部屋部屋では、針供養のオミオツケといって、

持ちよりで牛蒡、人参、小豆、焼豆腐を入れた味噌汁を

あつらえ3度まで替えて食べるというのが

例になっていました。

 

呉服の間では、針一本無くすと首であったそうです。

従って、一日の閉めに針を数えますが、

その時、1本でも無いと針が出て来るまで、

庭の石の下まで針を求めて探します。

出て来るまで帰れません。

その代わり、その間は御馳走が出てもてなしてくれます。

 

ちなみに針を無くした時には、短歌を3回唱えると

針が出てくるといわれてました。

「清水や音羽の滝は尽きるとも

  失せたる針の出ぬことはなし」

 

この歌の由来は判らないが、「古今和歌集」の

「いずれか歌を詠まざらん見えぬ針」から

来たものでないかと思われる。

当時は、針仕事をしてた時に、やむなく中座する場合は

糸の付いた針を近くにある行燈の張り紙にプツンと

差しておくのが女としての所作であったという。

今では、忘れられたものです。

「嫁大声を上げ 針が出やしたよ」

安心したのか嫁が対大声を上げてしまった。

姑に無くした事を咎められたら大変と、呪いの

歌を詠って必死に探していたのでしょう。

 

又、16代徳川家達家では、娘が針について記してる

15歳の年には、仲秋の名月の日、

庭に出て針に糸を通す。

一度ですっと糸が通ると、其の人は運が良い。

私は15の時、見事な満月で、見事に糸は一度で通った。

でも、妹の時は、曇っていて、雲が流れていて

月が見え隠れしていて、大変であったようでした。

島田髷

 

又、この他には、年齢は特に決まっていなかったが、

18歳の頃には「初桃割」、20歳の頃には

「初島田」を結いました。

鬘ではなく、地毛でしたので、早くから髪を伸ばし、

髪を結った日は、夜も眠れず、朝は目が腫れて

恥ずかしかった事を覚えてます。

「ざるの目に 風のとどまらぬ 事始め」