洲崎の初日の出
初日の出を拝みに名所の愛宕山・
神田。湯島・芝高輪・深川洲崎の高台に出かける。
「東都歳時記」には、「洲崎、芝高輪の海浜、神田の社地にて
日の出を拝する輩、今暁7時より群集す」とあり、
他の本にも記されてるので
日の出を拝む最適の地であったのでしょう。
「江戸風俗往来」では、人々の衣服は派手なものは着ない
男女ともに木綿絹を選ばず、唯新調で打ち揃って
日の出を拝した」
午前4時頃から集まったという
1月正月
江戸っ子は、正月は何もしません。
大晦日は、徹夜して年越しそばを食べ、初日の出を見、
あとは、ホントの寝正月です。
●初夢占い
夢占いは、古くは節分の夜であったが、江戸時代から正月の事となった。
大晦日から元旦にかけて、或いは2日の夜に見た夢を、初夢という。
この夢の内容で吉凶を占った。
その為に、江戸っ子は、宝船の絵を枕の下に敷いて寝た。
宝船の絵とは、宝船の舟に七福神が乗ってる図に、
「長き夜に遠の眠りの皆目覚め波乗り舟の音のよきかな」
という廻文(かいもん)を添えた1枚刷り。
その摺った紙を、「おたから おたから」と唱えて江戸市中で
売り歩いてる商売の人がいた。
京大阪では、寺社で売っていた。
縁起の良いものとされたのは、「一富士二鷹三茄子」。
由来は、家康の時代、駿河の国の名物で高いとされるものに、富士山、愛鷹山、そして初茄子の値段が高いものであったことからとされている。
ここから、夢占いの吉兆とされたようである。
若し、悪い夢の場合は、この紙を川に流す。ここから、
水に流すということがでたのでしょうか?
御屠蘇
年内に出入りの医師から贈られた屠蘇は、まず赤い絹の
袋を縫って中に入れ、除夜の内に井戸水に浸しておく、
早朝若水を汲む時取り上げて、お銚子の酒の中に入れた
始めに浸しておいた水を飲むと年中の邪気を避けると
言われた。
屠蘇酒は年賀に来た人に上げるのが礼儀で多くは
少年から飲み始め長老が最後でした。
礼記という書に「君の薬を飲むは臣先ずなむ.
親の薬を飲むは子先ずなむ」とあるように,
中国の長幼の順に従ったものです.
屠蘇は中国から伝わり嵯峨天皇の時代に行事として
行われた。
薬子「くすこ」と呼ばれた童女が毒見をしてから天皇に
献上された
江戸時代になると幕府から民間にと伝わり、薬屋が
歳末の景品に屠蘇散を配るのは、江戸時代、医師が
薬代の釣りに屠蘇散を渡した名残である
絵の主人の左に有る三方は蓬莱です
江戸では蓬莱とは言わずに食積といいました
しかし、嘉永年間になると蓬莱と呼び、江戸も京阪も同じでした
蓬莱の前に有るのは組重といい、普通は絵のように三重ではなく
4重の重箱である。
「年中故事」によると、4重は四季を司る故に、
煮物も四季におうず。
この煮物が「お節」である。