武家の婚礼について追加します

あちこち迷走してます。

結婚について

「お枕見舞」という事から書こうと思いグーグルを参考に見たら

これは出産祝いとなってるのですね。

 

江戸時代、明治時代では、お枕見舞というのは、結婚の首尾の

問い合わせを意味するのです。

時代が変わると全然違いますね。

 

結婚の首尾とはどういう事というと、大名の浅野候が記しています。

大名の婚礼

浅野侯の話です。

浅野家の場合は、初めに貰い受けの使者が来て話が決まる。

その節、進物が有ります。反物とか干鯛とかそんなものです。

結納はそれだけです。

 

式の当日は、お末が駕籠を担いで広敷きの玄関から

締り口まで担いできます。

そして夫になる者が、駕籠の前へちょっと手を掛ける。

これは本来自分が迎えに連れてくるべきものなので、

親ン迎ィの式」の意味だそうです。



 

顔は見えません。

夫は兼房の上下です。

兼房とは、唐衣(からころも) もともと大陸風の衣裳を言うが、

のち衣服の美称としても用いられる。

 

花嫁の衣裳は、白無垢に綿帽子であったそうです。

袿袴を用いる様になったのは維新後かもしれない。

大正12年の慶喜の御葬送を見送った時の私の

服装も白無垢の着物でした。

 

明治中期の頃までは、葬儀の際の礼服は白が基調でした。

それが変わったのが、明治皇后が黒を着始めてからが

流行となったようで、黒=暗闇、神道では、黒を重要視

してるので、それから来たのではないでしょうか?

 

座敷に移動してもらい、

ここで向かい合わせになって、初めて嫁に先に酌をします。

盃は三方に載せてある。

これで夫婦の固めを済むと衣裳を改めてきます。


メタボンのブログ

夫は紋付と半上下を着ます。

もう夫婦ですから、夫は上座、新婦は下座。

被り物は取ってあります。

 

夫としては、被り物を取って初めて妻の顔を見るのです。

間に立つ人から顔は聞いてますが、顔の善悪などは、判らんです。

それから色直しが有り、酒宴が有り、夫婦の床入りです。

 

この時、犬張子を使います。

犬張子は、人面に似せた顔をした犬をかたどった一対の置物で、

犬筥(いぬばこ)とも称されている。

安産のお守りや魔除よけに使われ、婚礼や出産の贈り物にもした。

 

之に前日の汚れた紙を入れる。それを翌日実家に持って行くと

実家は初めて婚礼が無事に終わったという事を知るのです。

これが戻るのが遅いと里方で心配したそうです。

 

これが、「結婚の首尾の問い合わせ」なのです。

ただ、仲人をした家達夫妻が、翌日に来たことが有る。

これは、心配しての事であるが、普通は、上記のような形で

行った。

和宮も犬張子を持参しました。

  和宮の犬張子

余談ですが、浅野侯は広島藩主でしたが、維新後、娘の一人に

長州の華族の一人から縁談の申し入れが有ったそうです。

然しながら浅野候は断ったと云います。

「儂の目の黒い内は、長州との縁談を断ってくれ」といって。

何でも、芸州藩の故老の言うには、戊辰戦争の時、

長州に煮え湯を飲ませられたからだと云います。

まだ、恩讐は続いているのです。

 

浅野侯の話では、幕末の頃の大名は、皆気が荒んでいて

宴会の席上、刺身を食べさせるのに、小刀で突き刺して

「食べろ」というような事もあったという事です。