駕籠は担ぐ人は、絶えず需要が多く給金も高いものでした

身長でいえば当時の平均身長は150センチくらいでしたから

170もあれば十分雇用に応じられた

珠玉の輿~江戸と乗物~ - EDO-TOKYO MUSEUM

 乗物の担ぎ手は陸尺と言い、駕籠の担ぎ手の事は駕籠かきという

乗物とは引戸になっていて複数の人で担ぐものです。

珠玉の輿~江戸と乗物~ - 江戸東京博物館

そして彼らを養成する学校もありました。

江戸の神田・三河町にあったそうです。

三河町は至って町貧すれども、諸大名の駕籠人足(陸尺)。

丈高く、丈夫なる者を選び、駕籠の担ぎ方を練習せしめて

諸家の用に弁ず。

その他鋏箱持・道具持何れも供立てに作法あれば、

練習したる者にあらざれば弁じ難し。

其の故は、諸大名行列の途次、他の大名と

行き会う時は、各身分に応じたる作法礼式あり。」

と、あり、ここで養成して地方へ送り出したのでしょう。

 

文中に身分に応じたる作法礼式とある。

ところが実際は、作法礼式ではなく、駕籠かき仲間で

顔が効く、所謂実力者が居て、各藩ともこうした人材を

競って雇うようにした

理由は、行列が混んでるときに何が優先されるかというと、

彼ら仲間の序列によって決まってからあり、力の有る駕籠かきが

いる大名の行列は優先されていた

 

もうこの頃は、需要と供給の関係で雇う方と雇われる者とで

雇われる方の力が強く、彼らの意見を無視できずにそれどころか

行列が競争するすることもあり、時には乗ってた殿様が

投げ出されるといった異常な事態も起こったが、それでも

大名らは強く言えなかった。

若し、言ったらボイコットされてしまい、大名らは登城が

出来ない事態になったからでした。

これは最悪の事であり大名の立場を大きく損ねるものでした

 

やはり見た目も要求されるので、身長の高い人を優先して

入れたようです。

将軍の乗物を担ぐ「御駕籠之者」も身長が高いものを優先した。

 

乗り物は身分や階級用途により多くの種類がある

全体の塗や担ぎ棒の長さまで決められていた。

メタボンのブログ
最高の漆工技術

この駕籠は、江戸時代、徳川家の婚姻の為にしつられた

女性用の乗物です。

当時の最高の漆工技術を物語る貴重な品と言えるでしょう。

 

漆は、塗料としてではなく、接着剤としても有効な素材である。

脆くなった表面を強化するために、溶剤を混ぜた漆を摺り込ませる。

艶を取り戻すために、漆を何度も塗っては乾燥させる。

亀裂や浮いた部分には、小麦粉と水と漆を練った粘着力の

強い麦漆を用いる。

 

この駕籠は、水戸家10代当主慶篤と12代将軍家慶の

養女・線宮(いとのみや)幟子

との婚姻で使用された可能性が強い。

駕籠の内部も、乗る人の無聊を慰めるように内装にも粋を凝らしている。

メタボンのブログ

金粉を蒔いたような様子が梨の肌の様な梨子地と、

立体感を出した高蒔絵は、このように大きな駕籠に綿密に施されている。

女乗物内部

非常に色彩豊かですね