武士と百姓<江戸時代>(15) | あえたかひとのぶろぐ

農家といえば、米を作るが、しかし、米を食べるという事は

なく、ハレの日と言われる目出度い日、正月などですが、

大体が饂飩をメインでした。

 

寛永20年(1643)刊行の「料理物語」には、饂飩の食べ方として、

薬味として梅干しと胡椒が付いている。

 

梅干しは、温かいものを食べると肺が開くので、

梅干しを食べると元に戻るからだという。

ただ、1700年には記入されてないので、

もう梅干しは薬味として

使われなかったようである。

 

胡椒は、近松門左衛門の浄瑠璃にも「本妻の悋気と

饂飩に胡椒はお定まり」と台詞がある。

織田信長が石田三成に命じて徳川家康を饗応させて、

後に信長に不手際を叱責されて後のクーデターに

繋がったという事案があるが、其のメニューの中に

御点心として饂飩が登場してる

 

御点心

しょうが さんしょう かたのり ことうふ しいたけ 

蒸麦(蒸した饂飩)

御菓子

羊羹 うち栗 くるみ 揚げ物 花に昆布 おこし米 

のし 

本膳

タコ、鯛の焼物、なます、香物、フナの寿司、菜汁、

御めし、

 

江戸の人口の半分を占めた60万人の庶民の殆どは

仕事を求めて江戸に来た人が多かったでしょう。

従って金も無く結婚をする時は、近所の人たちに

夫婦として認知してもらう、それが披露目でした。

 

庶民の婚礼に神仏が絡んでくるのは明治以降で江戸時代には、

婚礼は江戸初期は夕から夜だったが、次第に早くなり

昼になっていった

江戸時代 | ポーラ文化研究所

当時の庶民の婚礼の様子を「浮世床」で見ると

「俺は商いから帰って、今に大方花嫁が来るだろうと思うから、

豆腐を小半丁買って鰹節をかいてるところにお輿入れよ。

それから仲人が指図して直ぐに花嫁が茶釜の下へ焚きつける。

仲人が味噌を摺る。そこで仲人の懐から出した3枚のスルメを

焼いて三々九度よ」

 

式当日は本人も仕事に出てて、普段と同じようにしてた。

新婦も当時は身の周りの手荷物1つくらいを持ち、大家などに

付き添われてやってくる。

仲人は大家とか近所の夫婦が当たり前で、形だけ三々九度を

するのです。

 

料理は近所の連中が持参の酒や料理で振舞う。

当時絵などでは、新婦は普段着の格好で、新郎はどこから

借りたらしい羽織を羽織ってるのもある。

羽織というのは持ってないのが当たり前です。

 

当日、花嫁が持参する花嫁道具の中でランキングがある

1位は鉄漿用の道具、2位は手箱型の鏡台、3位は針箱。

結婚の届け出は、婚姻届けのようなものは無く、

翌年の「宗門人別改帳」に名が付けくわえられる。

これで入籍となる。

第05回 - 新潟県立図書館