大店の女子の奉公人は上中下に分かれる。

上とは、家の主人・妻(ご新造)の身の回りをする

中とは、台所などの仲居頭を勤めるベテランどころ。

下は、水汲み、力仕事、飯炊き、洗濯などの雑用。

 

又、江戸などに奉公人を出す場合でも、やはり3つのクラスに

わけられる。

上は、富農の娘で、寺子屋を終えると江戸の武家屋敷に

奥奉公に出て、いわゆる花嫁修業をする娘。

中は、一般農家の娘で、村の富農の家に女中奉公をし

家事や農業を手伝う。

下は、貧農の娘で宿にある宿で飯盛女として年季奉公。

1年から10年までの期限を定めた奉公人請状による。

 

口入宿は手数料を取りました。

判銭と称するもので印判費、仲介・紹介手数料として

契約金額の1割5分。

毎年3月に書き換えるのですが、その度に

頂いたようです。

 

その代わり、奉公人が何か問題を起こしたときは

保証人も兼ねてるので弁償します。

しかし、15%は高く感じますね。

 

節季奉公

「守貞漫稿」によると、「江戸の女は、

もっぱら武邸に奉公するが故也。

京阪市民の婢には、風姿野ならず往々美貌の女あり。

江戸の婢は、自ら野にして美婦稀なり」

失礼な、江戸の女中はブスが多いというのです

 

ちなみに下女の事を、別名・相模という。

これは、江戸の下女奉公のほとんどが出身が

相模国が多くあったからで、

住込みの下女の給金は年3両2分だった

衣食住付で、たまにはお仕着せ(制服)・小遣いも

支給されます。

 

これが武家奉公ですと休日が多い。

5節句や月次なども休みとなるからです。

その点、商家は少ない。

 

長屋の13,4才になる子供たちは奉公に出る場合が多かった。

この年数は10年くらいであり、その間は無給である。

そして、休暇は年2回正月と盆だけであり、これを(藪入り」といった。

藪入りは1月16日と7月16日が普通であった。

この日は地獄の釜の番人も休みであると言われた

 藪入り
メタボンのブログ

藪入りの日には、落語(藪入り)でもあるように、

主人から着物一式と小遣いを貰い、親元に帰るのである。

他人の飯を食い成長した姿を見せるのである。

「守貞漫稿」では、「奉公人春秋2季、其主人より暇を給ひて

父母の家に帰す。

父母の家他国なる者は、請け人の家に行き、請け人の家を宿という。」

身元保証人の事を請け人と呼んだ

又、成人の者は、一日だけ休暇を貰う。

 

「守貞漫稿」には、「手代は専ら青楼妓楼に遊ぶことを習風とす」とある。

一方女性たちは、芝居見物が多かったようである。

勿論、中村座のような料金の高い所ではなく、筵で囲ってるような

値段の安い町の芝居を観る

 中村座
メタボンのブログ

武家の奉公人は、藪入りの様に決まったものではなく、

2,3年に一度「宿下がり」という休暇があった。

正式なものは、7日7夜だったが、2,3日ということもあった。

宿下がり 母に模様を 立って見せ

御殿風の髪型や頂いた着物を母に見せている姿である。

 宿下がり
メタボンのブログ

 

商家の奉公に出ると、「丁稚10年、手代10年」といわれた。

給料は無く、夏冬のお仕着せ(着物)と5節句などに小遣いを貰い、

昼は雑用、夜は寝るまでに先輩から算盤などを習った。

何より煩く習ったのは、挨拶を始めとする人間関係や生き方であった。

但し、育ち盛りの子ですから飯は盛り切りなので腹が減ってしょうがなく

買い食いし、中には小銭を盗むのは多かったようです。

外に出たついでに、九段坂下で遊ぶ小僧たち

下女の給与は、末期には年3両衣食住付。

拘束はされるが、きつい農家の仕事に比べたら

遥かに楽な仕事です。

如何に、農家がの仕事がきついかは、

次の句が証明します

まず、ちょっと産んで来べい と田を上がり」

これは凄いですね。

 

出産の時に、大きな力を発揮する調味料が有りました。

それは何でしょう。

答えは「酢」

「和漢三才図会」によると、「産婦の房中、

常に火炭を以って酢の気をそばたたて、佳とな。

酸は血を益すればなり。

胞衣下さる者、腹満れば即ち甚危。

水を以って酢少しばかり入りて、面にほとばしらす。

神妙也。

 

分娩の時に失神するような時に、酢を発散させ、

妊婦に嗅がせると効き目があるというのです。

酒屋

「酢だそうな、しんぜ申せ、と内儀起き

夜中に戸を叩くものが居て、酢が欲しいといってるのを

酒屋の内儀が、直ぐ、酢を差上げなさいと言ってる様子。