源氏絵 貝合わせ 一対 江戸時代 貝桶 覆貝 蛤 大和絵 彩色 公家 ...

嫁入りの際の道具や持参金の名義は妻名義で財産です

仮に夫の店が潰れた時でも妻の名義の者は無事です。

その為に、婚礼の道具入れの時は、家の門から玄関まで

筵を並べて双方で確認しながら奥に運びこんで行った。

 

この大事な持参金の使い方を井原西鶴の「日本永代蔵」

出は次のように記してる。

「分際より万事に華麗にするを近年の人心宜しからず。

嫁とり時分の息子ある人は、まだしき屋敷普請・部屋作りして

諸道具の拵え、下人。下女を置きそへて富貴に見せかけ、

嫁の持参金を望み商いの手立てにする事。

心根の恥ずかしき。」

 

富貴に見せるために新しく屋敷を普請し高価な室内道具を

揃え、わざわざ下男下女を雇う。

屋敷普請というのは、新妻を迎える時に新築したり、

立て増したり、妻用の座敷を造ったりする。

ここから新妻を「ご新造様」と呼ぶ。

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大店の給金は幾らかというと白木屋富沢町店の

記録が残っている。

恐らく、日本橋店と同じと思えるのでこの明細を見ると。

 

元服後3年目までは給与は4両。

下女は2両でしたから、ちょっとしたものです。

丁稚小僧のお仕着せ(制服)は、伊勢縞という木綿縞に

前垂れが制服である。

一寸づつ 叱って仕着せ渡すなり

気が緩まないように、叱りながらお仕着せを渡して行きます。

 

衣食住には金は掛からないが、食事衣服は粗末で、

食事は盛りきりでお代わりはないので育ち盛りの

小僧らは腹が減ってしょうがない。

それで店の金をごまかして買い食いをするようになる

夜具も粗悪であり薄汚れた煎餅蒲団であり、

夜は寒くて眠れなかったという。

奉公の厳しさは、食事の辛さにある。

 

大伝馬町の木綿問屋「長谷川」の例では、朝は冷や飯と味噌汁、

昼と夜は1菜、月に6回有る精進日は漬物だけ。

朝はご飯と味噌汁、あとは漬物くらいで食べるのが普通であった

そして、上記にある3つの菜の内に漬物が入る。

漬物なども味付けは薄くする。

濃くすると飯を余計に食べるからです。

ということは2つは何かというと発酵食品です。

勿論、味噌汁も漬物も発酵食品の一つであり

それ以外の物と言うと、日本で一番古い発酵商品は

考古学で証明されてるのは酒です。

酒は縄文時代の遺跡の長野県井戸尻遺跡から、又、

青森の三内丸山遺跡から山葡萄の種や木いちごの

炭化したのが壺に付着して出てます。

勿論、今の酒とは違う物でしょうが、発酵させて作ったのでしょう。

 

同じ縄文時代のもので魚醤もある

魚の醤油です。

約4500年前のもので海の近くに製塩土器と呼ばれるものが

大量に発見されてます。

縄文中期から塩は採集されていて、塩を使って獲った魚を

塩漬けにして保存してた。

塩は浸透圧によって魚の細胞から水が出てくる

これが魚醤となる。