メタボンのブログ 

4、輿寄せの儀

  庭から担ぎ込んで座敷で下ろす。

  嫁が下りて祝言の間へ。

 庭では餅つき。駕籠はそのまま座敷へ行く。

 その為に、武家屋敷には式台が有ります。
メタボンのブログ

 

5、婿へ7種の土産

  待上臈の案内で嫁が休息の間に入ると贈物がある。

  男子の衣裳は官位による衣裳とする。

 

6、床の間飾り

  蓬莱飾りを畳の上におき、鶴亀などの祝物を飾った

  「蓬莱の島台」を飾る。

  蓬莱台
メタボンのブログ 

7、祝言の間

  花嫁花婿とも、床の間の正面を避けて、向かって左に嫁が座り、

  右に婿が  座る。

  互いに向き合わない形である。

  嫁が上座、婿が下座として教養書には有る。

  待上臈が付添い人として式の進行もする女性が座り、

  式はこの3人で行われた。

  但し、江戸時代後半には、初日のみ嫁を客人として迎え、

  嫁が上座になった。

  他には、酒をつぐ女房が3人が出る場合もあった。

  上級武家は、娘の躾を担当してきた乳母が介添えをすることがあり、

  祝言に当っても指導した。

 

  待上臈というのが、非常に解釈が難しいのです。

  花嫁の身代わりと見るべきなのか、(盃事も一緒にします)

  そうではなくて、嫁の付添人なのか微妙な所です。

メタボンのブログ

室町時代には、小笠原流、伊勢流などの礼道が確立し

婚礼の衣装も定まった。

花嫁は、幸菱紋様の表着に白打掛を着るようになった。

 

花嫁衣裳

  江戸初期には、全身「白装束」白の打掛を着た。

  頭には被衣という白小袖を被り顔を隠した。

  後に禁止されて江戸初期のものである。

 

  江戸後期には、白装束となり、被り物は綿帽子に変わった。

  ですから、絵は初期の頃と判る。

  揚帽子は、御殿女中が遊山や寺社参詣に使ったので使ってない。

  現代は、どちらも使っている。

  髪型は下げ髪のおすべらかし。

メタボンのブログ 

元々三日間かけた婚礼は、式と披露宴で数時間程度まで短縮された。

それ以外にも、両家の親族や仲人役の盃事、祝い膳、

嫁方でも同様に式がある

新郎新婦は、祝言の床入りで初めて互いの顔を見るのが普通です。

そして、日本の婚礼は夜に行われるものでした

漆黒の闇の中、高張提灯を掲げた花嫁行列と

輿の内なる白無垢の花嫁は、古風な日本の美の象徴なのです。