国貞:髪を染め、裁縫し、着物を洗い、当時の女性を栄えさせた ...

話は戻りまして、出戻り娘が運よく奉公の道が開き、

採用試験となります。

試験の内容は書いてないが、採用後の配属が呉服の間なので

実技であるとか自分で作ったものを持参するとかしたかもしれない。

 

大奥ですと裁縫は大奥女中の採用試験にも使われた。

小奉書に

上々様御機嫌能(よく)被為成御座御目出度有難がり候

と書き、願い親の名前と自分の名前を書いて提出する。
裁縫の良し悪しを示す袖形を提出する。

 

然しながら、旗本の娘と雖も、文字も書けず、

裁縫も出来ない女性が多かったようです。

下級旗本の生活は苦しいので、そういったものを習う余裕も

無かったのでしょう。

それで前以って書いたものを提出し、袖方も後には取りやめになった。

 

試験の日には、人足宿から女駕籠を呼んで目見(面接)に行き、

その後親類名簿を出し内定、正式に採用が決まると屋敷から

座布団が敷いてあった女駕籠が来て西丸下の屋敷に向かった。

西丸下乗門

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待遇は年に8両2人扶持、但し、塩や味噌などを買うゴサイ銀は支給されない

従ってこれらの品を実家から送ってもらう必要があり、その為に人足宿と

契約を結び1回に付き100文で品々を送ってもらうというようにした。

参考までにどんな品々を送っていたのかというと明和4年(1767)では、

3月3日

炭1俵、刻み煙草百匁、醤油5合、白酒5合、酢1合、

細魚7つ、豆腐、蒟蒻、干し大根、独活、若芽など。

6月4日

米櫃、炭1俵、味噌1器、醤油5合、鰯10、筍5本、

牛蒡10本、小袖3、竿竹1

7月12日

炭、味噌、香物、甜瓜、小肌鮨、茄子、ササゲ、ふすま、絹糸

10月28日

薪、炭、髪油、伽羅油、刻み煙草、糠、大根、人参、黒豆

 

もう丸抱えですね。

これが正月を迎える年末になるともっと大変です。

小袖、板紙、糊入れ、熨斗、水引、絹糸、伽羅油、

梳き油、槙、炭、味噌、香物、醤油、酢、ごまめ、蜜柑、餅、

飾り物、芋、牛蒡、人参、大根、塩鰹

数の子、砂糖、糠、足袋、梅干し、南瓜、洗濯盥、火箸、

附木、茶、揚げ豆腐、雑巾まであるのですから

新婚所帯を構えるようなものです。

 

娘の方からも便りがあります。

近況報告、折れた笄、箍が外れた桶などの修理の品、

更に必要な品のリスト

これらを連絡便に乗せての便りです。

 

親の脛をかじる一方のようですが、時には美味しい話もあります。

江戸城大奥で不要になった品々が「払い物」として

売られることが度々あり、大体が素材が良いもので作ってある品が

当たり前ですから、時には高級品が安く手に入るので

実家では積極的に買いに行くのを求めた。

 

そのため高価な小袖や加賀絹模様物 裏紅の袷を買うようになった

これらは自分で着るのではなく他に売るのです。

何と言っても大奥という一流のブランドものです。

憧れてる人は幾らでもいます。

 

売れっ子の遊女の腰巻などは超売れ筋で買っては

褌にする。

絶対相手にして貰えない遊女の腰巻で包むのですから

夢見心地でしょうね。

 

実家が多大の犠牲を払っての仕送りも御殿女中という看板が

欲しいがためという理由もあったと思われます。

将来、退職しても大奥で覚えた裁縫、礼法などの技術が

役に立つのは必定でした

実際に手習い所で教えることが多かった。

江戸ことば月ごよみ 3月 - 江戸東京下町文化研究会