姦夫姦婦そこを動くな!

今でいう不倫或いは不貞、密通です。

でも、言葉の響きは密通の方が密かにという感じですね。

これは以前も旗本の例でも紹介しました。

御使番という役は戦であれば将軍の傍に仕え

母衣の幟を背中に負い、将軍の命令を伝えるために

戦場を疾駆する名誉ある旗本が姦婦を成敗したという例でした。

 

御使番とは、若年寄の支配に属し,役高は1000石,格は布衣,

詰所は菊之間南御襖際。平時には,将軍の代替りごとに

諸国を巡回して大名の治績動静を視察し(諸国巡見使),

あるいは幼少の大大名のもとへ多く赴任し,

その後見監督に当たり(国目付),あるいは城の受渡しのときに

その場に臨んで監督するなど,すべて幕府の上使を務めた。

幕府の重要な役職です。

又、江戸に火災が起きると御使番が馬に乗って老中に報告する。

下の絵がそうです。

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「小納戸大井新右衛門 去秋奥方養子不義之事有之候旨

奥方養子を打捨候に付き 奥勤之議に付き出勤難成

其の節より昨日10日迄 病気故引込有之候処」

 

何と奥方と養子に迎え入れた男との密通があり、

城を退出すると裃姿のままで両人を斬殺したという。

奥方は恐らく30歳前後、養子は20歳くらいであったようですから

10歳以上の女性との密通です。

「オノレ、姦夫姦婦!そこを動くな」

しかし、切り捨てたとあるので大井は武芸の心得は

十分あったのでしょうね。

そうでないと無理でしょう。

「江戸 密通  間男  重ねて三つ 絵」の画像検索結果

妻の遺骸は取り捨てにするように家来に命じ、

馬の死にたるごとくの取り扱い、

運び賃五両を添えて乞食どもに遣わしければ、

門前に妻の里方の家来が待ち受けて、十両で買い取るとかや」

(『享和雑記』)

大井新右衛門は「悪名はいよいよ高くなりける」と書いてある。

大井家の用人は、悪名高い家に仕えられないと娘を連れて

逃げ出したという。

そうでないと家を没収されるし、親戚は連座して罪に問われるので

大井新右衛門は一年後に発狂して自殺してしまうのですが、

「殺された妻の祟りだ」と言われた。

勿論、大井の家は病死として届け出てます。

一族合議の上でしょう。

 

ちなみに亡くなった日は幕府の記録では正月19日。

しかし、実際の命日は3月29日。

大名や旗本の命日が複数ある場合は早い方が正しく、

家督手続きが完了してからの公表は、当主が亡くなったのを

隠すためである。

 

ただ旗本・御家人など幕臣は夫人の姦通があっても、

家名を重んじて斬ったりしません。

ひそかに離縁して、実家に帰します。

持参金も返してることが多い。

決まりとかは無いでしょうから、

そういう事であると思われていたのでしょう