さてその前に御用宿の亭主が、ここで和解調停を試みる。

現代の家裁の調停人の役割です。

女実親呼出状

嘉永2年(1849)の例では、下記の条件で内済となった
1.きん2朱と木綿1反、古い夜具と布団を夫方へ返還
1.夫宅から1キロ四方で妻は縁組しない事
1、夫は寺へ寺宛ての離縁状を提出する事。
以上の条件で妻は3年間寺に入った。

 

やはり、この当時は布団は高価なものです。

農家でしたら藁が普通でしょうが、もし、

綿入りの布団であれば、それは、勿体ないという事で、

返せと言われたのでしょうね。

布団を質に入れるケースもあったくらいでした

損料屋の貸し布団
 

和宮の降嫁の行列が街道を通過、宿泊する時は

人数分の布団そのものの数もないし、

第一藁布団が殆どでしたから、

やむを得ず買ったようですが、後のちに借金となって

大変であったようです。

綿入りの布団というのは、つい最近?で昭和に

なってからですね。

 

因みに和宮降嫁の際の行列の時は、

特記すべきは、トイレ兼風呂である6畳2室の建物でした。

これを人足50人で交代で担いだのです。

6畳というのは御台所の厠と同じです。

中で着替える必要があったったので、此の広さになる。

あんまり広いと集中できなくなってしなうからかも?

東慶寺の離縁状は、一定の型であり、

典型的な三くだり半で

この形式と中の文面が多く使用された。

その文面で共通してるのは

「その方事、我等勝手につき、此の度離縁致し候、

然上者、向後何方え縁付候共、

差構無之候、依而如件」

 

あとは、離婚理由が、勝手に付きでなく、

他の文言を使用するかであった。

 

寺法書

折紙に書かれていて、此処から、

折り紙つきという言葉が出来た

満徳寺離縁状と呼ばれ、仏教用語が用いられた

独特の文面を持つ。

離別一札之事

一、深厚宿縁浅薄之事
不有私 後日雖他え
嫁 一言違乱無之
仍如件


弘化四年 国治郎 爪印
八月 日
常五郎殿姉
きくどの

 

深厚宿縁浅薄之事、不有私 後日雖他え嫁

一言違乱無之

深く厚い前世の宿縁であったが、残念ながら

浅く薄かった為離縁となった。

これは、私の恨みとかの私怨ではなく、縁がなく

離縁する事は、何れにも責任は無いのだよ。

そういう意味です。

これが、周辺に普及し、離婚理由の最大となった。

 

仍如件 「よってくだんのごとし」

この言葉はよく出てきますね。
 

晴れて解放されます。

結構厳しい生活です。

 

3年間の滞在費?も必要です。

ただ飯を食わせる訳にはいきません。

食費や生活費が5,6両掛かるという事です。

ちなみに下女の給与は年に3両ですから、

2年分という事です。

 

若し、和解が成立しない時のことである。

今度は御用宿の亭主が、女達が寺で3年間の

勤めをするに際して、保証人となる。

 

その際は、女は寺へ入る為にお金が必要になる。

一定額の冥加金・扶持金である。

御用宿は、女が勤めの間の金銭の届けや

家族の面会、

病気の時の宿下がりの世話を御用宿が

引き受ける。

面会は、8歳以上の男子の場合は煩い許可が必要でした。

大奥と同じですね。