こう書いていますと、女性が弱かったのかと思うでしょうが、

とんでも御座いません。

 

11代家斉の時代、いわゆる化政年間に記されたのをご覧ください。

「今、軽き裏店の者、その日稼ぎの者どもの体を見るに、親は辛き

人生を送るに、娘は化粧し、良き衣類を着て、遊芸又は男狂いをなし

又、夫は未明より草鞋の棒手振りなどの稼業に出るに、妻は

夫の留守を幸いに、近所の女房同志より集い、己が夫を不甲斐ものに

申しなし、互いに身の蕩楽なる事を話し合い、カルタ、めくりなどの

小博奕をなし、或いは若き男を相手に酒を食べ、芝居見物

その他の遊山、物参りなどに同道し、料理茶店、水茶屋などに立入

晩に及んで夫の帰りしとき、終日の労を厭いやらず、かえって水を汲せ

煮炊きを致させ、夫を誑かして使うを手柄とし、女房は主人の如く

夫は下人の如くなり」

 

同じ家斉の時代に生きた女性。

再び旗本夫人の井関隆子の登場です。

「ふたなり」の話題です。

平安時代には、二形と呼ばれた。

半陰陽ともいわれ、陰茎と膣を両方備えた。

江戸時代の時は、出産の時の男の子の場合、陰茎や睾丸が

露出してないときに女であるとか[ふたなり]と見られた。

成長するにつれて陰茎や睾丸が露出すると男になったと

評判になった。

変性男子ともいわれた。

さて隆子の日記では、天保11年(1840)

この年は、東北で大飢饉が起こり10万人以上の死者が出た。

隆子の日記には、こうした記事は出てこない。

一方では、この頃、江戸では、贅沢な料理屋なども

次々と出来て繁盛し隆盛期に入ります。

まるで正反対の様相なのです。

でも前年の江戸城大火については何度も紹介してますが

臨場感溢れる表現で書かれてます。

 

それはともかく日記を見ると。

昔の話としてますが「上総の国、市原の郡。分目村てふ

所の民に、平八とて夫婦のものあり、今は昔になりぬめり」

夫の平八は酒好きの怠け者だったが、妻は働き者で機織り

が得意でしっかり者であった。

家には下女が一人雇ってたが、その下女が妊娠してしまった。

そこでビックリした親が娘の下女に、相手の男はだれかと詰問。

しかし、下女は泣くばかりで答えない。

やっと答えた「平八さんのおかみさんです」

親は、おかみさんは女じゃないか、何故、妊娠すると余計怒った。

ところが娘の言うには「おかみさんは最初は女だったが、

何時の間にか男になり私に言い寄ってきた。

そして、じゃれあってるうちに妊娠してしまった。

 

信じられない親は、近所の人たちに聞いたところ、どうも、女が

男になったというのは本当らしい。

夫の平八は、どうも男になったのは知ってたが、しかし、働き者の

女房がいなくなると困るので黙っていたが、妊娠したことにより

全部あからさまになってしまったという。

 

隆子の日記は、家族が将軍の側近をしてた関係で政事向きの

事や市井の話題も豊富に取り上げられてるが、性の問題も

多い。

これは、隆子自身は2度結婚してるが、夫と早い離別をしたり、

1度目はこれは推測ですが、子が生まれなかったなのかも、

子を生すことが女の勤めであった当時は、立派な離婚理由です

従って結婚生活も短く、だから、そうしたことに強い興味も

持っていたのではと思われる。