豪農の妻は、幼少から夫と同じ環境にあるために、奉公人を使ったり

夫の実務を代行したりするなどの事もしてるケースが多い。

そうしたものが要求される。

子守り奉公は、あくまでも口減らしですので食べさせてもらう

給金は無いのが普通です。

幕末に日本に来た外国人が驚いたのが、

この赤子を背負う子供の姿でした。

幼い子が赤子を面倒見る姿に驚き感動したのです。

自国ではまず見られない光景でもあったからでしょう。

現代ではもっと見ることが出来ない姿です。

 

一方通常のケースでは、10歳ころから子守り奉公をし

2,3年すると親元に帰り、再び奉公に行く。

そして娘時代を終わり、それから嫁ぐのであるから24から

30歳頃に結婚が多かった。

その結果はというと、晩婚であるために子供を産むのが遅く

数も少なくなるために家の生産力が低下する。

 

そして、家の継承者が無く絶家となる。

又、年齢が行ってるために若くして姑の教育を受けることも無く、

自我が発達してた。

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奉公の種類はというと。

1、機織り

技術を身に付けて、嫁いだ後は機織り機を借り、賃機(ちんばた)

をして仕事をして稼ぐようにする。

 

2、農作奉公

稲、綿、茶摘み、養蚕、田植え、収穫時における臨時の短期だが

高給です。

月の内6日勤めて3分ですから貴重な現金収入であった。

下女奉公よりも良かった。

下女の給金と言うと、年に1両2分が相場だった

後には2両2分になり3両2分になった。

ちなみに下女の事を、別名・相模という。

これは、江戸の下女奉公のほとんどが出身が

相模国(今の神奈川県)が多くあったからで、

住込みの下女の給金は年3両2分だった

衣食住付で、たまにはお仕着せ(制服)・小遣いも

支給されます。

 

奉公人は3月4日からの1年契約である。

若し働きが良いとか、人柄が良いとかで来年も

雇用するのを「重年」という。

再契約である。

金も上がります。

 

しかし、雇い主も簡単には重年させません。

下女もさるもので好い所であれば、重年を狙います。

その目標を達成するには、主人が目標となります。

もちろん、誰もでもという訳ではなく、ある程度の

顔立ちの良さも大きく左右します。

 

重年をさせなさるか、と水を向け」

これは、かねてより狙いを付けた下女と一緒の機会に

恵まれた主人が、あわよくばと、

誘いの手を出したところです。

 

それに対して、何と冷静な下女の応対です。

どうも、主人が嵌められたようなきらいもありますが。

 

結果は判りませんが、そこまで行ったらもう下女の勝ち。

なにしろ、下女の応対が凄い。

「重年をさせなさるか」これは条件を呑まなければ

いう事も聞かないし、奥さんに言うわよ、そういう含みです。

 

「しょこなめた下女は今年も今年も居」

この句は、こっそりと上手い事をやった、という意味で

見返りとして、何年かを務めるのが確定したわけです。

 

でも、下女がうんと云わない時もあります

嫌ならいいが、カカアにそう言うな

口止めをしておきます。

 

かかあに怪しまれると、奥の手を出します

そちは2世、あれは3月4日まで」

親子は1世、夫婦は2世、主従は3世、

3月4日で契約は切れる。

全く、理屈に合ってない所が説得力がある。

 

しかし、出来る時もあります。

何がって、子です。

つばらんでます、とにじる下女が宿」

宿とは実家ではなく口入宿の事で、

別名・下女が宿と云われた

 

人の斡旋と共に身元保証もしてるので、

下女の失敗や落ち度は宿が弁償する、

その代わりに、下女が不当な損害を被った場合

奉公先に強硬に折衝し、弁償金なども確保する。

大旦那様だと あれが申します」

 

句の中の「つばる」とは、兆る(つはる)であり、

妊娠初期の悪阻の語源でもある。

この場合は、かなり強気に宿は奉公先に要求します。

 

下女が交合を強いられての?懐妊ですから

精神的・肉体的苦痛を軽減するだけの

誠意を見せて貰う。

 

「弁舌をふるって宿は5両取り

その結果が5両でした。

この金額は、間男の内済金7両2分が

値下がりになったものです。

それと連動しての金額のようです。