それ以外で忙しい時となると、

大名家からの献上がある時である。

その時は、今ある原簿と照合しなければならないので

大名家からの立ち合いと一緒に照合し、

もし、重複してる場合は、献上は無い。

 

時の将軍、11代家斉の場合だと、

植木関係の本が多くなり、もし、将軍の目に留まれば

大名家にとっては大きなポイントとなる。

 

11代家斉は植木が大好きであったようで、

よく、ここ染井に来たことを御鳥見役で仕えたお庭番の

川村の日記や旗本夫人・井関隆子の日記で記してありました。

 

家斉がここにお成りになる日には、

植木屋もそれを充てにして高価な物を並べて

売ろうとし、それをやらせまいとして、先駆けの武士は、

上限は3両であるとして、当日並べる商品も確認しました。

ところが敵もさる者で、家斉が来る頃には、

高い値段に変えていたという

 

家斉の事は、旗本夫人井関家でも記されている。

家斉から拝領の鉢植えが有った。

天保11年10月4日。

「下総作りと云って、枝を見せず山の形に

整えたものが流行っている。

西の大殿・家斉様は殊に植木を好まれ、

この下総作りをご覧になりお褒めになられた。

この事が世間に知れ渡り、もてはやされるようになった。

葉の小さいものは、根岸五葉、会津五葉がある。

これらを植える鉢にも今流行しているものが有って、

花鳥山水は古めかしいとされている。

 

過日、将軍家から頂戴したのは、大変大きく、

唐物で絵は山水の麗しいもので、

植木屋もこの鉢植えが一番と褒めていた」

  将軍より拝領の鉢植え
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享保12年には、吉宗の子・家重が染井に来て買物。

8代吉宗も享保13年、9代将軍・家重も宝暦4年、

家治は安永8年から3回訪れている。

11代家斉は9回も訪れている。