書物の大敵は紙魚だが、それ以外にもいる。
鼠である。
そこで鼠を退治するために或る生き物を使って駆除する。
蛇を使うのです
今皇居内に生息する動物たちの展覧会が
行われていて、相も変わらず多くの動物、狸、狐、
ハクビシン、スッポンなど江戸時代と変わらず元気のようです。
ハクビシン
何時日本に来たかは分からないが、南方から来たようです。
旗本婦人・井関隆子58才の時、
天保13年(1842)4月の日記に
(大城には年を経た猫や鼬や鼠が住んでいて、
城内で飼育されてる籠の鳥や池の鯉を獲ってしまう。
罠を仕掛けても何しろ古狸古猫達なので、
なかなか罠にかからない。
稀に罠にかかった猫と鼬は佃島、鼠は回向院、
蛇なら一つ目の辨天に放された。とある。
殺さないのです。
これ等の動物を解き放つというと、何か、嘘っぽいです。
本当かなと思ったりしますが事実です。
奥坊主の業務日誌では「小蛇壱疋、辨天え放候様、
伊豆殿申し聴けらる。
大鼠1疋 中鼠1疋、回向院え御放」
放した後、鼠が北の方へ立ち去り候。
逃げた方角まで確認しているのもある。
そして、猫はというと「猫1疋、佃島え御放ち、
此の節の儀、決して途中見え申さず様入念し
付くべき旨御達しなされ候」
猫は住いに対する愛着が強いので、
猫は家に付く、と云いますから、佃島に着くまで
外の景色を見せないようにと、念を入れてます。
戻ってきた例もあったのでしょうね。
井関隆子は「お城で元々飼われていたのではないから、
初めての場所に放されて全て新しく感じられ、
却って幸せかもしれない」と述べています。
西丸御殿 左奥は大奥
蛇は西丸に特に多く、専用の蛇を捕まえる箱も作っていた。
しかし不思議なことに狐、狸の名が無い。
どうしてでしょうか?
狸は大岡ませ子が記してるように、新参女中が入ると
夜拭き掃除をしてると、ませ子の時のように不意に姿を現し、
大きく口を開けて吃驚させるのが常で新人いびりでした。
ませ子は雑巾を投げつけて逃げた。
狐狸と熟語にもなっているものです。
やっぱり、狸汁でしょうか?
狐は不味いのかな。
人を騙すから、食べると美味いから?嫌いだから?
と考えるが不明です。