御文庫では、定例の御風干しが毎月15日に

4つの御書物蔵を開き風を入れる。

これを定例風入れといい、本の虫干しである。

年に一度,6月の土用の入りから60日間にわたり行う。

西宮神社『御社用日記』虫干し一般公開 「先人が危機乗り越え ...

蔵の中の書物を全て外に出し日に干す。

その時、書物の点検をし、目録と照らし合わせて確認もする。

先ず用意するのが虫除けの品である。

樟脳、曼殊沙華、楠、芸草、煙草、麻、菖蒲。

羽帚、木綿の手袋、薄縁、棕櫚帚、

棕櫚は鷹の羽で、薄縁は古備後表。

 

畳の川柳も有りますね

「備後より琉球へ通う若旦那

これは、備後表というのは畳の最高級品で高価で。

その畳のある部屋から、一番安い琉球畳の部屋に

いる下女の元へ通う事を言ってる句です。

下女は川柳の大のお得意様です。

 

備後畳は、将軍の寝所(御小座敷)でも使用されてた。

大奥の将軍専用の間である御小座敷とは違います。

こちらは大奥の御小座敷

将軍が大奥で泊まる部屋

正徳3年(1713)にも大奥の奢侈を押さえようと老中らは

大奥の長局向けの倹約令を出してる

「修復住居替畳替之覚え」

1、畳替は以前より隔年にした来た通り、今後も1年はさみとする

  その内、勝手向、次通り、多門などは見分次第とし

  場合によって抜き替え、或いは古畳を用いる様に。

  ただし、部屋替えであっても検分の上、

    只今までは古くなくとも畳替をしてたが、

    今後は検分の上そのままでよい場合は、

  表替えをせず既定の年数通りに替える事

  もし、品により上からの命令が有れば格別とする。

  避けられない仔細の有る場合は老中に伺いの上命じる事。

畳替えでも老中が担当してる

廊下が畳の所は身分のある奥女中の所であり、

下級女中の所は板張りです。

身分によってきちんと分かれてる。

しかし、幕末の頃ですが変ってるのです

奥女中であった大岡ませ子は、

大奥は年2回夏と年末に畳替えをしたそうですが、

新調するというのではなく、梅林門の先に、

御畳蔵というのが有り、そこに絶えず新しい畳が

保管されていて、畳替えの季節になると、

御下男が来て畳を替える。

その時は、女中は姿を隠すとの事で、

一緒に居るという事は無いと云ってます。

 

この事について「旧事諮問録」では、御庭番で当時

御庭番支配の役にあった川村の証言があります。

掃除者の監督で掃除者というのは御家人です

「将軍の御休息の間だけでも、200人の色々な職の者が入ります。

畳屋、大工、経師などで、入るまじき所に入らぬように心付けます。

そして、1日で畳替えや障子の張り替えをします」

 

畳を上げて根太の修理とか部屋の修理とかの荒い仕事は

黒鍬衆や職人が来て行います。

女中は又隠れます。

男と一緒に働くことは有りません。

松の廊下

江戸城表・大広間・控之間・松之廊下 : 大江戸歴史散歩を楽しむ会

細工所が手配をし、模様替えなども行ったようです。

御庭番の川村家の日記には、

大奥の座敷や新座敷の模様替えについて、銀7枚を戴く。

とあります。是は、川村が細工頭であった時の事なので

間違いないでしょう。

江戸城の畳替えにかかる年間の予算が7千両でした。