春の江戸絵画まつり 江戸絵画の19世紀 東京都府中市ホームページ

奥に居る姫君や奥女中は男子に接することは

日常ありません。

従って、事前に教育をしなければならない。

井原西鶴の「好色一代女」にあるような

「奥なる女中は男見るさえ稀なれば、褌の匂いも知らず

菱川が書きしこきみのよき姿枕を見ては、我を覚えず

上気して、悪戯心も無き足の踵、てのたかたか(中指)を

ひきなびけ・・・・・」とある。

最後の部分は、お判りでしょうから敢て説明はしません。

 

全く男について判らない。

まして、褌など見た事も聞いた事も無いという。

春画 枕絵 春本にし古典館

更に、別に枕絵が有るという。

これは、大名や旗本は一代に一つ、

必ず甲冑を拵えるのだという

その時に、鎧櫃の中に虫除けとして

春画1巻を入れる習慣が有った

 

「いざ!鎌倉」という万一の時の金も入れておきました。

美談が有りましたね。

いよいよ食べ物が無くて餓死した武士が居て、

鎧櫃の中を見たら大金が納めてあったが、

それには手を付けなかった。

それは、戦の時に使う金であったからです。

 

「彼の本は入れぬ武蔵は米櫃」

武蔵坊弁慶は、生涯でたった一度しか女性と

交わらなかったという。

大の女嫌いであり、その武蔵の鎧櫃には

春画は無かっただろう。

 

明治になって森鴎外も目撃している。

10才の時、蔵に行って「僕は何の気なしに

鎧櫃の蓋を開けた。

そうすると鎧の上に本が1冊載っている。

開けてみると、奇麗に彩色してる絵であった。

そして、その絵に描いてある男と女が

異様な姿勢をしていた」

 

枕絵は添えても質屋直にふまず

質屋は、笑い絵には値を付けてはくれない。


又、春画は贈答品として立派な役目が有ったのです。

平戸藩主であった松浦静山は「甲子夜話」で、

江戸城内で年末年始の贈答品として大小暦の他に

春画の交換が活発に行われていたと記してます。

 

裃を付けた大名達が挨拶をし、

交換し楽しんでしたのです。
馬鹿夫婦 春画を真似て 手を挫き」

 

貸本屋で「ワ印」と云われた春本は特に値段が高く、

刷りや彫りが特別良く、普通の本の5,6倍の値段であった。

 

そして感心することは、現代に残るどんな古本でも

左下のページをめくるところだけが汚れている事であり

これは本を読む上のマナーであったのでしょう。

それと使用されている和紙が丈夫であった事ですね。