ファイル:Chiyoda no on omote Kagamibiraki.jpg - Wikipedia

城中では同僚と食べ物の交換贈答もする。

白魚を頂いた礼に松茸7本返したり、沢庵のお返しにヒジキを渡したり

凄いのは沢庵を貰った時のお返しが鰻7串というのもあります。

是はどのよう基準で返されたのでしょうか?

 

松茸7本というと豪華版ですが、

恐らくこの松茸は「漬け松茸」でしょう。

石突を落してつぼみはそのまま、傘の開いたのは軸と傘を

切り離し茹でて冷まして塩に漬けたもので、

使う時は、塩抜きして使ったようです。

 

関東は赤松が殆ど無いので江戸っ子は生の松茸を見たことが

無かったという。

Matsutake.jpg

関東の松茸は「金山の松茸」といわれた。

今の群馬・太田の北に金山という山があり、

そこで年に7,8回取れたという。

府中の瓜・玉川の鮎と並んで珍重され、とりわけ、

金山の松茸は将軍家に送られ、老中にも下賜が有ったという。

葵の紋を付けられた松茸は中山道を警護されて

午前9時に出発し、翌日の朝5時には江戸到着するように、

休みなく継ぎ足されて送られた。

従って、貴重品ですので庶民の目には届きません。

 

生の松茸を知らない江戸の庶民などが食べた松茸は

上方から送られた松茸を塩漬けにしたものであり、

一旦茹でて、茹でた松茸の上に松茸が隠れるほどの

塩を掛け、その上に生の松葉を置く。

 

そして、桶が一杯になったら桶の底に穴をあけ水分を

垂らして塩松茸にするのです。

 

塩松茸は、使用前に塩抜きをして煮物や汁物に使われたが、

香りが全くしなかったので、江戸っ子は負け惜しみか

松茸よりシメジやシイタケがの方が美味いと云っていた。

 

日本の松茸の歴史は古く縄文中期の頃に既に松茸を

食していた記録が今の岡山県にある。

日本人のマツタケへの愛着・研究から学名(Tricholoma matsutake )

と日本語の読みが使われるほど昔から他国の人にとっては

理解しがたい一面が有る。

匂い松茸味しめじ」と言われます。

 

俳句や川柳などには登場するが、それは食してのことではなく、

あくまでも、その特異な形に関してもので

例えば、『椎茸に松茸うまいだしが出る』

これは、椎茸とは大奥女中の髪型です。

不忍池で落ち合っての楽しいひと時の様子だと思います。

ご想像にお任せします

不忍池茶屋

色々なものを持ち込んで、同僚と交換したり分け合ったり、

時には酒を呑み交したり幕府は度々、

これらの事を「猥成儀」(みだらなる儀)と云って禁止しました。