お見合い
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歌舞伎は、お見合いの席にも利用されました。

但し、芝居が年中開催されているのでもなく、

費用も掛かったので利用できたのは裕福な人だけです。

お見合いですから桟敷席を取るようになる。

10両以上かかるので大変です。

最初は粗末な小屋でしたが、次第に立派なものとなり、

明和年間の頃には中村座には大茶屋が16軒、小茶屋が15軒、

市村座には大茶屋が10軒、

小茶屋が15軒、森田座には大茶屋が7軒在り繁盛した。

 

この桟敷席は、芝居茶屋を通さないと確保できません。 

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朔日、歌舞伎の顔見世狂言がある。

毎年1年の顔ぶれを決めて11月に最初の興行を行いました。

中村座・市村座・守田座の三座が新たに編成した顔ぶれである。

一年の門出となるので「芝居正月」ともいう。


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歌舞伎舞台惣稽古

初日前日にリハーサルをします。

それを隙間から覗き見る。

いやでも景気が盛り上がるのです。
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幕末に半年に亘る旅をした宅子の日記です。

「みな人、大坂にものする事この旅を限りになるべしというに、

24日までの間けふもけふとて歌舞伎、操りの芝居に費を暮して

何事もおぼえずなりぬ」

久子の日記にも「24日道頓堀にゆきてまた芝居見る。

舞台桟敷の仕掛け、誠に珍しき事にて目にも及ばず。

24日までの3日間を歌舞伎やあやつりを見ようというのである。

 

明ける25日この日も又芝居を見る

26日又この日も芝居を見る

もう二度と生涯で上方に来られぬと思えば寺社だけでなく

歌舞伎・操りの魅力に女たちは抗しかねたのです

芝居の朝は6時開幕ですから早い、女たちは早起きし

行燈の明かりで髪を結う。

着替えの着物を何しようかと考える。

寝る時間などありません

もう心わくわくです。

朔日未明に一番太鼓の響きで幕が上がる。

芝居小屋の前には、贔屓客から贈られた酒樽などが積み重ねられ、

茶屋には顔見せ燈籠が飾られ、気分を煽るのである。

 

観客を徹夜して鼠木戸(入口)の前で待った。

木戸口には、木戸芸者と呼ばれる男が居て、配役を読みあげたり、

役者の声色をして客を引き寄せた。

木戸番は羽織を着ているが、これは、顔見世の時、

女形から贈られるのだという。

  木戸番芸者
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七つ(午前四時)一番太鼓がなり、ついで二番太鼓が鳴る。

恒例の市川団十郎の「翁渡」から始まるのである。

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幕間には、芝居茶屋に戻り、ゆっくりと食事や或いは、

「名残の夢」でも、描かれてましたが、着映えをすることも

楽しみであったようで、色々な衣裳に替えて、

或る時は奥女中、又は、町娘などに着替えて楽しんだ

様子が記されている。

成程、是では、代わりの衣裳を含めて何日も前から準備が必要ですし、

荷を運ぶ下男が居ないと往生しますね。

 

大阪で歌舞伎を観に行って宅子・久子が感心したのは

歌舞伎の

舞台装置の改良でした。

一つは、せり上げ

以前からありましたが、それは一人が載るくらいでしたが、

それを七人乗せてせりあがる様にした。

 せり上げ
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もう一つは、回り舞台でした。

現代の様に完全に円を廻らないが、近いものでした。

今までは規模の小さな物であったが、

舞台を回せるようにしたのです。

  下に車輪がある
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これらは江戸の手品のものを改良して歌舞伎に

使用されたと、先日テレビで江戸の手品を紹介してました。

紙うどんもそうで、手品で紙をうどんに変える手品があるが、

それも歌舞伎で使われてる。

ニューうどん出し |全商品一覧や手品グッズ揃うマジック ...