丑の日には、湯屋では、桃の葉を風呂に入れて

桃葉湯を作りました。

桃葉は、日焼けや、湿疹、あせも、虫刺されなどに効果が

あると言われていたからです。

 

参考までに家庭でもできる桃葉湯。

  1. 約30枚の桃の葉を布袋に入れて約15分煮出す。
  2. 煮汁と布袋をお風呂に入れればできあがり。

他には、正月の菖蒲湯、6月土用の桃葉湯、冬の柚子湯があった。

この日は、湯銭とは別に12文のおひねりを番台のところの

三方に出します。

番台の前の三方に山盛りになってるのが「おひねり」

メタボンのブログ

湯銭は天保の頃だと、大人8文、子供6文、乳飲児4文、糠4文。

上記の様に、正月の初湯、5月の菖蒲湯、6月土用の桃湯、

そして、柚子湯の時がおひねりの必要な時だった。

湯屋から茶が出ます。

 

湯屋の料金は、幕府の政策により長年値上げを認められませんでした

値上げしても客は勝手に以前の値段の儘で同じ金を番台に

払っていくのです。

特に子供を連れた母親などは、子供の分も勝手にカットして

行くのですから割が合いません。

 

8文の時代が一番多いと思われるが、湯屋の経営というのは

値上げを容易に認めてもらえないので決して楽ではなく、

経費削減で燃料である木材の確保が従業員の大事な仕事で

拾い集めて来るのが日課です。

 

2千石級の旗本屋敷門

この日課が一時的に必要で無くなった時がある

それは、維新を迎えて幕臣が江戸を引き払うほうが多かったので

屋敷を処分しようとしたが、何しろ数が多いので値段も

付けられることなく放置されてしまう屋敷が多く、

そうした屋敷から木材を収集出来た時期があったのです。

 

ただ、それでも日銭が入りますから、

湯屋株を手に入れようとする人は多かった。

 

休日は、どうも月1回くらいしかなったようである

ゆっくりと休むことは出来なかったようで、

懸命に金を溜めて、300とも500両とも云われた

屋株を買うの夢であったようです。

段々と株の値段が高くなってることからも有望な仕事で

あったのは間違いない。

 

泥鰌は夏の食い物で、俳句の季語でも夏です。

画像検索結果

こうして写真の様に、悠然としてる姿よりは穴の中に

引き籠ってる姿を連想してします。

実際に、元気な泥鰌というのは、仲間がいると下に下にと

潜るそうで上にいるのは元気のないドジョウであるらしい。

だから、「泥鰌掘る」という言葉が出たのでしょう。

 

今では、すっかり高級食材となった泥鰌だが、

江戸時代は、どじょう汁なら12文、柳川なら48文。

鰻の蒲焼きは、100~200文でしたから、安いものでした。

蕎麦が16文ですから、高いものではなく、「本朝食鑑」でも

汗を止めて喉の渇きを癒し、体を温め、腎を補い、血を調え

男子の精力を盛り返す、悪酔いなどの酒毒を消すと云われた

健康食であったのです。

「ぐらぐらと 煮えかえりけり 泥鰌汁」

どじょうを食べるのは、上方には無い習慣であり、

直ぐ火が通って食べられる

というのがせっかちな江戸っ子にピッタリであったようです。

 

泥鰌鍋が代表的です。

くらくらと 煮えかえりけり 泥鰌鍋

「守貞漫稿」では「昔は丸煮と云って全体の儘臓腑を取らず、

生きたドジョウに酒を振りかけて呑ませて、

味噌仕立の鍋の中に入れる。

酒を飲んだ泥鰌は泥臭さが消え、骨まで軟らかくなる。

そして、鉄鍋に並べ、砂糖、醤油、味醂で

作った割下をかけ、すき焼き鍋の様にして

食べるのである。

 

葱と牛蒡を加えた濃い味噌仕立の泥鰌汁である。

江戸では、一般家庭でも作られており、

しかし、女性は暴れる泥鰌を見ると

料理するのが嫌であったらしく、亭主に任せたようです。

鍋蓋へ 力を入れる 泥鰌汁

飛び出そうとする泥鰌を押さえつけねばならず、念仏も唱えます。

念仏を 4,5へん入れる 泥鰌汁

 

また、泥鰌鍋もある。

生きたドジョウに酒を振りかけて呑ませて、

味噌仕立の鍋の中に入れる。

酒を飲んだ泥鰌は泥臭さが消え、骨まで軟らかくなる。

そして、鉄鍋に並べ、砂糖、醤油、味醂で作った割下をかけ、

すき焼き鍋の様にして食べるのである。

 

しかし、鍋物を紹介してるが、実は夏に食べるものなのです。

俳句の季語でも夏となっている。

俳句では「泥鰌掘る」が冬の季語、
「泥鰌鍋」「柳川鍋」「泥鰌汁」が夏の季語、
「味は下品、ただし夏土用前後の旬は美味い」とある。

 

さて6月食べた泥鰌鍋は御馳走になった時に出た

鯵の干物からスミ、又いさき、芋ぜんまいの甘煮そして泥鰌鍋

更に百人町で汁粉2つ、坂下にて寿司2つ食べ」とあるように

よく喰います。

 

幕末の江戸では、泥鰌鍋を扱ってる店は、ナマズ、穴子の蒲焼

穴子鍋もやっていたという。

 

紀州藩士の酒井半四郎は、

泥鰌鍋は好物であったようで1年間で9回食べてる。

安くて美味い、しかも夏バテ防止と三拍子揃ってるのですから

無理は無いでしょう。

そして驚くべきことは、生の泥鰌を買ってきて自分で料理してる

これは凄いと思いますね。

道を間違えたのではと思ったりします