何の日であったか、「縁結び団子」を食べる日がありました。
慶喜家にもありました。
「縁近団子」と云い、秋の彼岸のあと
9月30日に食べていました。
新米を台所で大きな石臼を置いて、天井から長い竹棹が
下って、その先を臼の横の穴に入れ、4,5人の女達が
歌を歌いながら米の粉を作る。
「ヤーレヨイ、ヨーイヨイ」から始まり、面白い文句が付く、
「犬と猿との相撲取り、犬が飛びつきゃ猿めがドッコイ」
などである。
この文句は聞いたことが有りますね。
江戸城大奥で女中たちが糊を作る時に唄を歌ってましたが、
似ていますね。
参考までに紹介します。
♪「わたしゃ深川貝殻育ち、貝の柱に蠣の屋根
仇な浅蜊とそうより、わたしゃお前さんの「バカ」がよい
今度来てみな小鳥が住むよな小池にさぁー、
鴨が3ツに三所、三々が九ツ、白鷺三羽に鵜が七つ
今度両国見世物見たか、犬と猿との御相撲取り、
犬がワンと飛びつきゃ、お猿はドッコイやらぬと勝を取る。
見上げてみれば御本丸、見下せば「ゴザイ」部屋、
打てば間誤々々背負出す、そりゃーなーんよぇ。」
歌の終わりには「ヨーイヨーイ善い粉が出来たぞぇ」
長局を見廻る時、よくこの歌が聞こえたという。
出来立ての粉で団子を作り、それを年の数だけ食べるのです。
そうすると良い御縁が結ばれるというものでした。
大きいと大変なので、1センチくらいの大きさに作って貰って
餡を付けて食べました。
15歳の年には、仲秋の名月の日、庭に出て針に糸を通す。
一度ですっと糸が通ると、其の人は運が良い。
私は15の時、見事な満月で、見事に糸は一度で通った。
でも、妹の時は、曇っていて、雲が流れていて
月が見え隠れしていて、大変であったようでした。
島田髷
又、この他には、年齢は特に決まっていなかったが、
18歳の頃には「初桃割」、20歳の頃には「初島田」を結いました。
鬘ではなく、地毛でしたので、早くから髪を伸ばし、
髪を結った日は夜も眠れず、
朝は目が腫れて恥ずかしかった事を覚えてます。
こうした行事は、今は影も形も残ってません。