下級公卿は、それ以前から財政が大変で、しかし、江戸時代から

比べるとまだ向上していた。

幕府の奥医師・桂川の娘・みねが江戸の昔を振り返って書いた

「名残の夢」には、京のある橋の袂で乞食のような格好で

砂に字を書いて遊んでいた少女に「お前のおとっつあんは?」

と聞いたら「身は姫じゃ」と答えたそうですが、

公家の実態はそんなものでした。

公家の姫
メタボンのブログ

昭和天皇の侍従を務めた甘露寺伯爵は、「江戸時代は、

大名の足軽のような生活でした。」と述べている。

そして、名女優として知られた入江たか子も、

下級公卿の娘であったが、少女時代の生活の苦しさを

綿々と述べた本がある。

入江たか子 本名・東坊城 英子

銀幕の女王とも云われました。

入江 たか子

明治時代になって、やっと中流の生活になったという、

甘露寺伯爵の述懐がある。

 

それで、十五銀行の破綻を迎えたのですから、当然ながら

生活を維持できなくなったのは無理ない事でしょう。

 

 前田侯爵邸
1万5千坪の敷地に建坪800坪、使用人135人を数えた。

明治になっても悠々と旧幕時代と同じ大名生活をしたという。

 

細川侯爵邸は、元の下屋敷にあり、やはり1万5千坪であった。

そこに多くの貸家が有り、2人を差配人に任命し数百とも云われた

貸家を管理させた。

 

細川家の姫であった女性は、長屋がずらっと並んでいたという。

そこに、使用人や借家人が住んでいた。

それも、戦後税金の代わりとして物納された。

 

この女性は、非常に活発な方で、庭には大きな池が有って、

そこで舟の漕ぎ方を自分で何度も練習してたといいますから

庭が如何に大きかったかが判ります。

 細川侯爵邸

ただ、中には5万坪というのも珍しくなく、以前登場しました

戸田家から田安家に嫁入した女性は、1万坪というと広そうに

感じますが、周りが皆そうであるから普通に感じたという。

 

そして、こうした財産は保護され、売却も禁止された。

指定解除は出来る。

そうした場合は、土地などの売却が出来るのである。

こうした財産を「世襲財産」と云われた。

万一の時は、差し押さえも免れた。