青山霊園を取り上げたが、近年墓仕舞いが多くなり、

2021年度では全国で3309軒だった

東京が一番多く878軒、大阪が591軒。

東京は都営霊園が多く有り、管理費が滞納する墓も多く、

滞納は同年度で8850軒でした

都では原則5年以上の滞納は墓を撤去してるが、

その予算は年間5億円だという。

 

そこで特例を設け管理料を原状回復を免除することとし

その結果、青山は540軒、谷中は660軒返還されたという

他の霊園も継続中だという。

どんどん墓仕舞が増えてるので未だ増えそうですね。

猫ブームは江戸時代にも!暮らしの中にいたカワイイ・怖い・縁起 ...

12支の中に、何故、猫年が無いのか不思議ですね。

話によると、昔、12支を決める動物の動物の集会があって、

其の時、ネズミに嘘の日時を教えられたので、参加できず、

それで12支には無いという話が有ります。

それは嘘です。

 

古代エジプト人が猫の家畜化に初めて成功したのですが、

エジプト人が猫が可愛くて堪らず猫の輸出を厳に禁止し

密かに海外に連れ出された猫は、

役人が連れ戻しに行ったという。

だから、中国には伝わらず、12支に入らなかったという説があります。

でも、タイ・ベトナムでも12支には入っているそうです。

猫好きにとっては、悔しい話でしょう。

 

でも、日本の猫の飼育記録は889年宇多天皇で

父の天皇から黒猫を贈られて狂喜したという。

毎朝、牛乳を温めた乳粥を5年与えていたという。

ミルクだなんて、現代に似てますね。

 

にゃーでも、江戸時代は猫は冷遇されてますね。

犬は、里見八犬伝などでも取り上げられ、主人に忠節を尽くすからか

評価されてきました。反対に猫は悪役でした。

佐賀の鍋島家の化け猫怪談もあります

城に眠る伝説と謎 【佐賀城】化け猫になった龍造寺家の怨念

江戸人は「猫は10年人に飼われると人語を話す」と信じていました。

特に、エリアでいうと牛込方面の猫だそうです。

寛政7年(1795)春、牛込山吹町の寺の猫がよく喋ったそうで、

庭で鳩を狙っていたので、住職が「危ない注意」と声を掛けて、

鳩を逃がすと猫は「残念!」とつぶやいた。

住職が猫に「喋べるとは可笑しい。人を誑かすつもりか」と、聞くと、

猫は、「我に限らず猫は10年生きれば喋る」と答えた。

 

天保6年(1835)秋、牛込榎町の幕臣の家の飼い猫は、

縁側で寝ていたが、隣の家の猫が来て「ニャァー」と鳴くと、

「来たな」と返事した。

きわめつけは、それから32年後、猫が喋った榎町の家に

男の子が誕生。

その子は成長すると、猫が喋る小説を書いて大作家となった。

夏目漱石である。

現代物では、宮部みゆきさんの怪談物が有ります。

猫に喋らせていました。

 

でも、猫は30年生きると尻尾の先が二股に分かれて、猫又という

妖獣に変化(へんげ)すると謂われてきました。

江戸時代、猫又が捕まったという記録があるんです。

寛政8年(1769)今の群馬県です。

この猫又は、老婆を食べて成りすましていたが、ある時、2升の酒を吞み

泥酔し正体を現し捕まったという。

猫又飯は、聞いたことありますが、猫又酒は初めて聞きました。

      高輪夕景 「広重」
メタボンのブログ
わんわん又、犬の方では、

江戸時代、三田・青山・高輪辺りは大名屋敷が

多く並んでいたと云います。

そして、大名の正室(奥さん)は、軒並み、高級座敷犬の

「狆」を飼っていたそうで、屋敷跡からその愛犬の戒名が

付いた墓石が見つかっている。

誰も相手をする人も無く可愛がっていたのでしょう。

狆は鳴かないし、臭いが無いので好まれたという。

「素毛脱狗之霊 高輪御狆白事」の戒名です。

名前は「白」だったのですね。

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本郷の加賀藩上屋敷の発掘跡からは、百舌鳥までを含むあらゆる鳥類

の骨が出土し、獣骨は無い。

真砂町にあった小笠原藩中屋敷からは、逆に、兎、狸、馬、鹿、いのしし

犬、雁、鴨などのあらゆる鳥獣が発見されている。

 

同じ本郷に在りながら何故、加賀藩の屋敷から、

獣骨が発見されてないのかは、推測ですが、上屋敷という建物の

性格から遠慮して、殿様が居住しているから、

獣を食べるのを慎んだのではないのでしょうか?

逆に、小笠原家は中屋敷なので、緩やかな管理であったからでは

ないでしょうか?

かねやす

本郷といっても現代のようではなく、江戸時代は、

「かねやすまでは江戸の内」と云われたくらいで、

加賀藩の屋敷の有った所は明治になっても

寂しい所だったという気述が有ります

屋根が瓦から草葺に代わっていく。

しかし、小笠原藩の獣は信じられないものです。

 加賀藩上屋敷

一方では、近年の薩摩藩屋敷跡の遺跡発掘現場からは

犬の骨が多く発掘されている。

「赤犬が 紛失したと 芝で云い

なにしろ「酒盛りに キャンと云わせる お国柄」です。

犬を殺して御馳走として宴に出すのです。

流石に狆は居なかったのかも?

 

何の話をしているのか判らなくなってきました。
ちなみに土葬ですとその墓の土の具合によって保存状況が異なります。

日本の国土は90%が酸性土の為に普通は分解されるが、

水はけの良い土ですと、70年くらい経過すると殆ど残っていませんが、

太いので大腿骨が残ります。

水はけの悪い場所ですと、そのまま着物も木も残っていることが多い。

匂いが強烈です。

時々数千年前の骨が発見されるが、恐らくは水のある所か

若しくはアルカリ性の土のとこであると思われる