
5位と言うと公卿では下級公卿ですが、
武家では中小の大名の官位になる。
これから四品といわれた4位の官位を狙う大名が多い。
但し、公卿は官位は高くとも小禄ですから貧乏そのもので
娘が居れば大名や富商への嫁入りが殆どで
大名・富商は高貴な公卿の血筋を欲しかった。
ですから公卿は娘が生まれると大変喜んだものです。
この辺は、商人と同じです
商人も男ですと跡継ぎが有力ですが、しかし、商人としての
資質が無いのであれば商人の家は困ります。
衰退していきます。
だが、娘であれば有能な男を見つけて後継にできる
大店の場合は、非常に多く例が有る。
武家の場合は、跡取りは男子だけですので、男子誕生は
非常に目出度いことで、女子誕生は決して祝福されない。
女腹といわれ側室を持つことを勧められ男子誕生を目指す。
大名の場合は、正妻となると政略結婚で他大名と結ばれています。
公卿は結納金を目当てのケースが目立ち、
年々厳しくなる藩の財政を考えて大名は公卿からの娘は
権妻・側室に迎えられるのが普通でした。
所謂国御前です。
江戸の側室は下屋敷に住むのが普通です
お国御前は城に住む、正室は江戸から来ることは無いので
のんびりと過ごせます
困窮した公家は百人一首やカルタの札つくり、
焼き物などの箱書、扇の絵付のアルバイトをしたり、
地下人という昇殿を許されない官吏・官人の中には、
能の仕舞や囃子の興行に出演している者もいました。
衣装を質に預けて昇殿の日だけ請け出して格好をつける。
京都の土産物屋には関白の和歌の短冊が売られていたり、
東寺の骨董市には天皇家の調度品まで出回っていたと
いいますので、困窮した公家たちは必死であり、
もうなりふり構わずといった状態でした。
明治になって子爵になった下級公卿は、旧幕時代の
生活というのは大名家の足軽と同じようなものでしたと述べている。

平安時代に広まったものといえば食事に使う箸がある
奈良時代の遺跡からはあまり見かけなかったが、
平安京の遺跡からは宮殿や役人の区画で発見される。
しかも絵巻では一般の人も箸を使って食事をしてる姿が
見ることが出来る
現代の話になりますが、
天皇の料理番と云われた秋山徳蔵の本の中で
「天皇陛下は、黄金の箸でお食事を召し上がる。
とは古くから言い伝えられた話であった
ひょっとすると、今でもそう信じてる人がいるかもしれない。
ここに改めて説明するまでも無く、雲の上にいらっしゃった
時代から今に至るまで、一般国民と変わりのない
ごく普通のお食事を、ごく普通の柳の箸で召し上がって
おられるのである。
柳は真白く水滴が1滴でも着いたらすぐ判ります。
怪しい事はないという印です。
儀式の中では、「御真似」と云い、
箸をつける形のものがある。
それは銀の長箸を使いますが、但し、
新嘗祭などの神事の時は木製の箸が使われる。
そして「ハレ」の儀式で使われた箸は、
他で使われることが無いように捨てられます。
しかし、普段の食事で使われた箸は1回切りが
原則でしたが、リサイクルの今の時代です。
今は捨てずに厨房で取り切りや盛り箸として
再利用してる。
以前は調理用の長いフォークを使ってました
フランス料理に箸を使うのは、フランス料理の
エスプリを無くしてしまうからという秋山の信念であった。
昭和天皇家の元日。
元日の朝は、「御祝先付」と呼ばれる儀式からである。
テーブルの純白のクロスの上には、
「本膳」と「二の膳」の丸い膳が並ぶ。
尚、儀式で使うお盆は、朱の漆で縁が黒の丸盆でした。
御紋は入っていません。
箸は柳箸で、お客様は利休箸。
利休箸とは、杉で作った、両端を細く削った箸。
千利休が用いたのでこの名があるとされる。
利休は客を招く日の朝に自ら杉材の箸の両端を
細く削り出してその芳香をもてなしとしたと伝えられる。
懐石に用いるが、一般にあらたまったもてなしや
祝儀の膳にも用いる。
元来は杉材のものをいったが、一般には他の材のものもいう。

何故、両側が削っているかというと、年神も一緒に食べるので、
片方を年神が、もう一方を人間が食べるので
両方削ってあるという。
又、柳は丈夫で木肌が白いところから、
清浄を表しているからという。
なんにもまして箸1本でも大変なのです。
